放送前夜の白紙

テレビアニメ最終話の納品前夜、千々石灯里は真っ白なカット袋を薬袋宗太郎社長の机に置いた。

「何だ、これ」

「明日からの制作表です」

中には何もなかった。

薬袋は、作画の遅れを徹夜で埋めた人間を「好きで描いている連中」と呼び、残業申請を破っていた。完成した映像の手柄だけは、自分のインタビューで語った。

「アニメーターなんてSNSで集めればいい。君たちは夢を人質に取られてるんだよ」

その言葉どおりだと思っていたのは、薬袋だけだった。放送局はすでに、現場へ直接支払う緊急枠を用意していた。夢を人質にされていた者たちは、その夜初めて、夢と会社を切り離した。

灯里が合図すると、制作進行、演出、作画監督、撮影、編集が社員証を机へ置いた。外注スタッフからも、今後は受注しないという通知が届く。素材はすべて放送局の指定サーバーへ返却済みで、誰も一枚の原画さえ持ち出していない。奪ったのではなく、自分の手だけを引き上げたのだ。

薬袋は笑った。

「最終話を持って逃げれば訴えるぞ」

「逃げません。権利者へ納品しました」

会議室の画面に放送局のプロデューサーが映った。

「今夜のデータは受領済みです。そして次期シリーズは、千々石さんたちの新スタジオへ発注します」

「契約はうちと結んだはずだ」

「制作体制と労務順守が条件です。主要スタッフ全員が離れ、監督署の調査対象となった時点で解除条項に該当します」

直後、労働基準監督署の職員が入室し、入退館ログと編集室の監視記録を保全した。百時間を超える勤務が何か月も続いていた。

銀行からも、放送局との契約解除を理由に運転資金の追加融資を断る連絡が来た。違約金と未払い賃金を合わせれば、薬袋の会社に次の一本を作る金はない。

灯里は白いカット袋を持ち上げた。

「社長、ここには何を描きますか」

薬袋は答えられなかった。

放送局の画面に、次期シリーズの発注決定書が表示される。受注者欄には新スタジオの名前があり、旧会社の欄だけが白紙だった。

その瞬間、最終話より先に、薬袋の会社の最終回が決まった。