新玉ねぎの薄い輪

「電車が止まった」は、犬飼岳人がついた嘘の中で、いちばん出来が悪かった。

駅にはいた。ただし、オーディション会場と反対方向のホームに立っていた。

二人組で始めた漫才は六年目だった。相方は会社を辞め、岳人は会社員を続けている。今回の審査を最後にしよう、と二人で決めたのに、会場のビルを見上げた瞬間、足が動かなくなった。落ちれば終わる。受かれば、もっと怖い日々が始まる。

相方は電話口で「事故なら仕方ない」と言った。

その夜、岳人は一人で居酒屋の隅に座った。店内にほかの客はいない。春限定の札から「桜海老と新玉ねぎのかき揚げ」を頼む。

油へ種が落ちた途端、しゃあっ、と雨より激しい音がした。細い桜海老が赤く浮き、新玉ねぎの薄い輪が透き通る。揚げたての香りには、海老の殻の香ばしさと玉ねぎの甘さが混じっていた。

店主は丸いかき揚げを皿へ移そうとして、端を少し欠いた。

「あ」

岳人が言うと、店主は欠けた部分も皿に載せた。

「崩れたら、塩で拾えばいいです」

慰めでも教訓でもない声だった。

岳人は欠片から食べた。さくりと軽く、すぐに甘い湯気が口へ広がる。中心はまだ熱く、急いで飲み込むと喉が焼けた。

相方への文章は、下書きに三つあった。一つ目は長い謝罪。二つ目は解散の提案。三つ目は、笑える言い訳に直したものだった。どれも自分が少し格好よく見える。

岳人は文章を全部消し、録音ボタンを押した。

「電車、止まってない。俺が逃げた。落ちるのも、受かった後も怖かった。ごめん。まだ組む気があるなら、明日、直接話したい」

声は途中で裏返った。芸人らしい一言も思いつかなかった。そのまま送った。

返事は来ない。解散になるかもしれない。六年分を一皿のように丸く戻すこともできない。

録音には既読がつかなかった。岳人は追い打ちの言葉を送らず、明日の昼に二人で使っていた稽古場だけを仮予約した。キャンセル料の小さな数字が、逃げ道より先に画面へ残った。

岳人は残ったかき揚げを箸で割った。薄い輪がばらばらになり、桜海老が二匹、皿へ落ちた。指で塩をつまみ、その欠片まで拾って食べると、熱い玉ねぎの甘さが舌の中央に残った。