方言で留守電を残す

着信画面に「故郷・市民劇団」と表示されたとき、佐和は出なかった。

十一年前に一度だけ所属した劇団だった。高校卒業公演のあと町を出て、それきり舞台には立っていない。なぜ今さら、と考えているうちに、留守番電話へ切り替わった。

〈来月、駅前ホールで朗読劇をします。欠員が出ました。戻る予定があるなら、声だけでも貸してもらえませんか〉

戻る予定があるなら。

佐和の机には、東京の賃貸契約更新書と、故郷の短期滞在施設の申込書が並んでいた。どちらも今日が期限だった。更新書の住所は印字され、申込書の住所欄は空白だ。

二十九歳になって、佐和は標準語が上手になった。電話口で地元の訛りが出ると、相手に親しみを持たれることも、からかわれることもある。だから知らない相手との電話でも友人の前でも、音を平らに整えてきた。

留守電をもう一度再生する。劇団員の声は、昔と同じ語尾で上がった。

スマートフォンには二つの録音データがある。東京で受けたナレーション講座の課題と、高校時代の公演を録った古い音声。課題の声は滑らかで、古い声は不器用で、よく笑っていた。

どちらが本当の自分かを決める必要はないはずなのに、佐和は長く、片方を消そうとしていた。

短期滞在施設の写真には、白い壁と小さな机しか写っていない。そこでは東京の話し方をしても、故郷の話し方をしても、最初は誰にも馴染まないだろう。帰れば自然に元の自分へ戻れる、という期待を手放すと、空白の部屋が初めて現実の広さに見えた。

劇団へ折り返した。呼び出し音のあいだ、胸が速くなる。

「もしもし」と出た相手に、佐和は標準語で名乗った。参加したいこと、滞在は一か月だけの予定であることを伝えた。最後に相手が「帰ってくるんだね」と言った。

佐和は少し黙ってから、故郷の言葉で答えた。

「帰るっちゃなくて、行ってみるだけやよ」

申込書の滞在期間に一か月と書く。更新書は破らず、保留の封筒へ戻した。

故郷を自分の答えにしない。その代わり、そこで出す声は、誰かに聞きやすく整えない。

電話を切る前、佐和はもう一度、訛った声で自分の名前を言った。