既読をつけて眠る

黒瀬紬の友人は、夜になると話したくなる。

仕事の愚痴、恋人とのすれ違い、家族から届いた一言。紬は《電話できる?》と来れば、眠くても風呂の途中でも応じた。途中で切れば見捨てるようで、相手が「もう大丈夫」と言うまで受話口を離せなかった。

相談されることは、必要とされることだった。だから翌朝に目を腫らしても、自分から疲れたとは言わなかった。

火曜の二十三時五十八分、枕元の画面が光った。

《今ちょっと電話できる?》

紬はすぐ既読をつけた。友人が最近つらそうなのは知っている。明日は朝一番の会議だが、三十分くらいなら平気だ。三十分で終わったことはほとんどないのに、毎回そう考えた。

通話ボタンへ指を置くと、耳の奥で自分の鼓動がした。今日は昼からずっと、他人の声が近すぎる。電車の案内も、職場の呼びかけも、全部が皮膚の内側に残っていた。

紬は文字を打った。

《今日は話せない。明日の夜なら二十分だけ聞けるよ》

「ごめん」を先頭へ入れ、消した。また入れて、もう一度消した。友人の苦しさを疑っているわけではない。ただ、今夜の紬には受け取る場所がなかった。

送信すると、すぐには返事が来なかった。怒らせたかもしれない。別の誰かに「冷たい」と書かれているかもしれない。想像だけが通知より大きく鳴った。

紬は端末を寝室から出し、キッチンの充電器へ差した。

歯を磨いているあいだ、頭の中では友人へ送る補足が増えた。今日は特別疲れていること、明日の会議が早いこと、嫌いになったわけではないこと。紬は鏡の前で一つずつ説明し、どれも実際の画面には戻さなかった。マナーモードではなく、おやすみ設定を朝七時までにする。

布団へ戻る途中、画面が一度光った。内容は見なかった。

友人を大切に思う気持ちは、電話に出なかったことで消えなかった。紬はそれを確かめる代わりに、掛け布団を顎まで引き上げた。

既読のついた会話を残したまま、彼女は自分の眠りを先に迎えにいった。