日曜日を退去する
日下部沙良が相続した家では、毎週日曜の朝だけ、食卓が十五年前へ戻った。
焦げ目の薄いトースト。半熟の目玉焼き。欠けた青いカップ。椅子を引けば、誰もいない台所から新聞をめくる音がする。
家を売りたいのに、その朝だけは不動産会社へ鍵を渡せなかった。
〈白瀬物件相談所〉の白瀬暦は、胸ポケットへ日めくり暦を差している。話を聞くと、赤い日付印を机へ押した。
「日付は更新できます」
「思い出もですか」
「物件情報の話です」
そっけなく答え、暦は日曜日の家へ来た。赤い日付印を玄関、食卓、台所の順に押す。紙もないのに、空中へ「6月14日」の文字が浮かんだ。
「この家は、最後に家族全員がそろった日曜日を反復しています」
「止めたら、全部なくなりますか」
「朝食はなくなります。あなたの記憶まで当社の管轄にはありません」
沙良は売却理由を、維持費が高いからだと説明した。本当は、空き家へ来るたび自分だけが先へ進んだようで苦しかった。弟は海外、母は施設。父の椅子だけが、毎週同じ音を立てる。
「売らずに残すべきでしょうか」
「残したい家と、戻りたい日を混同しないでください」
暦は冷たく言ったあと、古いコーヒーメーカーへ新しい豆を入れた。
「反復を止めるには、家へ次の日付を教えます。最後の日曜日を一度、最後まで過ごしてください」
沙良は食卓に座った。新聞の音へ向かい、仕事を辞めなかったこと、弟と喧嘩したこと、母が最近よく笑うことを話した。返事はない。けれどトーストが冷めるまで、暦は別室で査定書を読むふりをして待った。
食べ終えると、沙良は青いカップを洗って箱へ入れた。暦が日付印を押す。
「6月15日」
家の窓から月曜の光が差し、新聞をめくる音は消えた。
後日、売却資料の入居可能日には「月曜日以降」とあった。沙良が変な書き方だと指摘すると、暦は胸ポケットの日めくりを一枚破った。裏には、あの朝のコーヒー代の領収書が貼られている。
「日付は更新できます」
「だから売れる?」
「いいえ」
暦は赤い印を、沙良の控えではなく自分の手帳へ押した。
「退去しても、訪れた日は消えないという意味です」