旧姓の受領印
宅配員が受取人の名を声に出すと、受取人の寿命が七日減る。だから配達では住所と荷物番号だけを確認し、名前は送り状の文字で済ませる。周防諒平は新人研修で、呼びかけは「お荷物です」に統一しろと百回教わった。
雨の木曜、七〇四号室の送り状を見て手が止まった。
朝霧芙美。
読み上げ防止のため、端末は氏名欄を灰色で覆うはずだった。雨で保護フィルムが浮き、四文字だけが露出していた。
三年前まで諒平と暮らしていた人の旧姓だった。住所も、二人で内見したマンションだった。差出人欄には諒平の実家。品名は「鍵ほか」。母が押し入れを整理して送ったらしい。
インターホンを鳴らすと、知らない男の声がした。
「宛名をお願いします」
「荷物番号八一六二です」
「名前を言えないなら受け取れません」
規則を知らないふりではない。玄関の内側で、幼い子どもが笑っていた。諒平は端末を見る。現在の居住者名は別の姓になっている。旧姓を呼べば、いまもその名に応じる本人から七日が引かれる。
扉が細く開き、芙美が顔を出した。髪が短くなっていた。彼女は男に「大丈夫」と言い、諒平の制服の胸元を見た。
「番号で受け取る。八一六二」
受領印を押す手が震えていた。諒平は箱を渡したが、彼女は抱えたまま扉を閉めなかった。
「中身、たぶんあの部屋の鍵だよね」
「たぶん」
「捨ててくれてよかったのに」
「母が、文字なら減らないからって」
芙美は笑った。昔、寝坊した彼を起こすときと同じ、片方だけ上がる笑い方だった。
「一度だけ、前の名前で呼んで」
廊下の奥で子どもが積み木を倒した。男は何も言わず、玄関の内側へ下がった。七日を使うかどうかは、荷物よりも彼女自身が受け取るものらしかった。
「七日減る」
「もう誰も呼ばない名前だから、最後の七日でいい」
諒平は雨音に紛れないよう、旧姓と名を続けて呼んだ。芙美は目を閉じ、受領端末に二度目の印を押した。
帰りのエレベーターで、端末には「重複受領」と赤く表示された。荷台には、箱から落ちたらしい真鍮の鍵が一本残っていた。
鍵には白いビニールテープが巻かれ、黒い油性ペンで二人の旧住所が書いてある。その末尾の部屋番号だけ、七〇四へ細く書き直されていた。