昨日のレシート

喫茶「琥珀線」のレジは、閉店後に一枚だけ勝手に紙を吐く。

百瀬透也が店を譲り受けた初日から、毎晩同じだった。

日付は十二年前の十一月六日。

ブレンド二杯。レモンパイ一切れ。

合計千百八十円。担当者欄には、先代店主の癖のある丸印。

紙の端には青いボールペンで、「帰ったら話す」と書かれている。

透也にとって十一月六日は、兄が家を出た日だった。

十八歳の透也は、売れない写真家を続ける兄に「夢で腹は膨れない」と言った。兄は笑わず、古いカメラを持って出ていった。その夜、駅前で起きた事故に巻き込まれ、帰らなかった。

兄の上着のポケットから「琥珀線」のマッチが出た。それだけを頼りに店を訪ねたが、当時の店主は入院中で話を聞けなかった。数年後、その店主が亡くなり、なぜか遺言で店を透也に譲った。

写真しか撮れなかった男が、コーヒーを淹れるようになったのは、それからだ。

毎晩出てくるレシートを、透也は捨てられなかった。

引き出しの中には十二年分の十一月六日が積もっている。兄が最後に誰と二杯飲んだのか。誰に何を話すつもりだったのか。問いは紙より薄くならなかった。

十二年目の十一月六日、閉店してもレジは鳴らなかった。

代わりに、杖をついた老女が扉を叩いた。

「まだ、レモンパイはありますか」

透也は残りを一切れ出し、ブレンドを二杯淹れた。

老女は向かいの空席へ一杯を置き、パイを半分に切った。

「十二年前、ここで若い人に写真を撮ってもらったの」

事故で亡くした息子の誕生日だったという。老女が泣いているのを見て、兄は勝手に向かいへ座り、二杯目を注文した。

「帰ったら弟に謝るって。弟の写真を、いちばん撮りたいって言ってた」

老女は財布から千百八十円を出した。

「あの夜、払うのを忘れたの。あの人、代わりに払ってくれたから」

透也は受け取れなかった。

引き出しから一枚のレシートを出す。青い文字が、今夜だけは兄の声に見えた。

老女が帰ると、レジが小さく鳴った。

出てきた紙には、今日の日付と、ブレンド二杯、レモンパイ一切れ。

担当者欄には透也の丸印があり、余白は白かった。

透也はそこへ、「わかった」と書いた。

翌晩から、レジは静かになった。