暗号を写した血統紋

 国境勝利の祝賀会で、ベルンハルト王子はヴェロニカ・アシュレムを兵士たちの前へ引き出した。

「要塞暗号が敵へ漏れた。暗号室へ入れた婚約者は彼女だけだ。国家反逆により婚約を破棄する」

 敗戦寸前まで追い込まれた怒りが、ヴェロニカへ向けられる。王子は彼女が暗号体系を作ったことには触れず、『知っていたから犯人だ』とだけ繰り返した。

 暗号は、戦死した兄の書き癖と国境の鳥の飛び方から組み上げたものだった。完成まで眠れない夜を百日重ね、ベルンハルトへ渡すときには、国を守る相手だと信じていた。だが王子は会議で成果を自分のものとし、失敗した今だけ設計者の名を思い出した。

 壇下には、暗号漏洩で仲間を失った兵士もいる。ヴェロニカが声を荒らせば、彼らの悲しみと争うことになる。だから彼女は弁明ではなく、契約が記憶している事実だけを選んだ。

 彼女は涙を見せず、胸元の勲章を外した。

「婚約契約第五条の付記を、公開してください」

 国境軍総監シュテファンが一歩進んだ。彼は剣を抜かず、王家とアシュレム家が結んだ契約原本を卓上へ置いた。

 第五条付記――共同暗号を複写した者の血統紋は、複写の瞬間、契約書の裏面へ焼きつく。

 ヴェロニカが原本を裏返す。そこに浮かんだのは、王家の獅子と、ベルンハルトの個人紋だった。

 誰かが息を呑むより先に、王子が叫んだ。

「敵を欺くための偽情報を流しただけだ!」

「では、なぜわたくしを反逆者として処刑しようとなさったのです」

 答えはなかった。偽情報作戦などではなく、自分の失策を婚約者へ被せるつもりだったことを、沈黙が語った。

 ベルンハルトはやがて、国家のためには王家の面目が必要だ、婚約破棄を撤回するから口を閉ざせ、と囁いた。

 ヴェロニカは勲章と婚約指輪を並べて置いた。

「勲章は国へ返します。ですが、沈黙まで差し上げる契約は結んでおりません」

 元婚約者に背を向けると、シュテファンが暗号室ではなく朝日の差す回廊へ手を差し出した。ヴェロニカは顔を上げ、その手を取った。