月光認証

夜久野澄のスマートフォンは、満月をカメラに映したときだけ、その曲を再生した。

昼間はファイルそのものが存在しない。部屋の照明や白い紙を向けても駄目で、午前零時を過ぎた月光の波長だけが認証鍵だった。曲名は〈FACE〉。イントロでカメラのシャッター音が三度鳴る。

「顔を見せて」

三年前、姉は人気配信者だった。ある日を境に、匿名掲示板で顔の欠点や自宅周辺を晒され、配信をやめた。最後の投稿は、月を映した十秒の無言動画。その翌朝、部屋は空になり、連絡も途絶えた。澄は姉を追い詰めた匿名アカウントを探し続けてきた。

Aメロでは、月面の模様に合わせて白いノイズが揺れた。再生画面のビジュアライザーが、姉の過去動画から切り出した無数の反射を並べる。窓、スプーン、消えたモニター。そこには撮影者の顔が小さく映り込んでいた。曲は反射像を一枚ずつ補正し、同じ輪郭へ重ねていく。

「顔を見せて」

二度目の声で、澄は犯人が現れると思った。サビが爆発し、歪んだベースに合わせて輪郭が鮮明になる。細い眉。左頬のほくろ。月形のピアス。姉の画面越しに何度も見た、逃げ場のない角度だった。

澄はイヤホンを外しかけた。

画面に浮かんだのは、自分の顔だった。

姉の部屋で端末を借り、裏アカウントへログインした夜の反射。澄は姉の人気を妬み、最初は軽い悪口を書いた。反応が増えるたび、通学路や愛用店まで情報を足した。見知らぬ群衆が姉を壊していくのを、画面のこちら側で止められなくなった。記憶では「犯人を追った夜」に塗り替えていたが、月のピアスだけは消せなかった。

最後の一音と同時に、フロントカメラが作動した。現在の澄の顔と、反射から復元された顔が一致する。認証完了の表示の下に、予約送信先が並んだ。姉の弁護士、警察、過去の視聴者。

その一番上に、姉からの短い録音があった。

「顔を見せて」

匿名の加害者へ正体を現せという脅しではない。姉は、罪を他人の影に隠した妹に、自分の顔で責任を引き受けろと言っていた。