朝まで運ばない便
鳴海千紗は十二年間、夜間配送所で「朝までに」を運び続けた。
蛍光色の制服は反射帯が剥がれ、膝には荷台で擦った黒い跡がある。退職後も携帯端末には緊急連絡が積み重なった。欠員二名、誤配一件、大口追加。眠っていても震動音が聞こえる気がして、千紗は枕の下を何度も確かめた。
転機は、祖母の空き家で無限収納が開いたことだった。収納口を小さく分け、村の各家と町の商店に一つずつ設置できる。送り主が品物を入れ、受取札を指定すれば、相手側の口から同じ品物が出る。運ぶ人間はいらない。
千紗は利用一回につき銅貨一枚だけ取った。薬、手紙、焼きたての弁当。村人たちが使うたび、台所の小瓶へ硬貨が自動で落ちる。
最初に届いたのは、離れた畑で働く父親へ娘が送った昼食だった。次は、足の悪い老人へ診療所から届いた薬。千紗は一歩も走らず、誰かの「間に合った」を作れた。しかも、そのために別の誰かが眠気を噛み殺す必要もない。
からん、と朝の静けさを壊さない音がした。
《本日の通行料:三十一件》
《最低生活費まで、あと〇件》
ゼロ件。その表示が、どんな昇給通知より嬉しかった。千紗は小瓶から銅貨を一枚取り、昼に食べる桃を買う額を確かめた。足りている。それだけで、胸の中の時計がようやく遅くなった。桃を切る時間まで、誰にも配達時刻を決められない。
同時に、元所長の名前が画面へ浮かんだ。
「新しい仕組みを会社に譲れ。お前も管理職で戻せる。今夜だけ現場を助けてくれ」
千紗は庭で揺れる洗濯物を見た。古い制服だけが、風に吹かれても重そうだった。
「今夜は寝ます」
「給料は倍にする。昔から夜に強かっただろう」
強かったのではない。眠いと言えなかっただけだ。千紗は初めて、その違いを口にできそうだった。
「皆が困っている」
「私も困っていました。でも、誰も私を帰さなかった」
彼女は制服を畳まず、資源回収箱へ入れた。端末の業務連絡だけを拒否設定にし、縁側へ籐の寝椅子を運ぶ。無限収納から薄い毛布を一枚取り出すと、昼の光の中で目を閉じた。