木偶人形へ返した傷

「魔力ゼロの落第候補には、木偶がお似合いだ」

剣魔法科の実技場で、試験官グスタフは笑いながら最古の訓練人形を指した。異世界から来た八雲沙夜は、攻撃魔法を一つも発動できない。課題は木偶へ傷を一本つけるだけだが、その人形には歴代生徒の斬撃を吸収し、表面を修復する術式が刻まれていた。学院はそれを不壊の教材と誇っていたが、沙夜には、木の奥で誰かの悲鳴が幾重にも反響しているように聞こえた。傷を消すことと、傷がなかったことにするのは違う。前世で記録保全の仕事をしていた彼女には、それが分かった。

沙夜が木剣を受け取ったとき、木偶の胸に無数の浅い凹みがあることに気づいた。消えたはずの傷が、忘れられずに内側から押しているようだった。

観覧席の貴族生が勝手に上級魔法を放った。

紫の刃が沙夜の頬をかすめ、木偶へ命中する。人形は傷を飲み込み、何事もなかったように立ち続けた。試験官は犯人を叱らず、「実戦なら事故も実力だ」と肩をすくめた。

沙夜は頬の血を拭い、木偶の胸へ手を当てた。

彼女に与えられた能力は、攻撃でも防御でもない。

《能力・履歴返却――物に蓄積された結果を、一度だけ本来の発生源へ返す》

「返して」

それだけ言った。

木偶の表面に、百年分の傷が一斉に浮かんだ。剣痕、槍穴、火傷、凍結、雷撃。そのすべてが光の線となって人形から離れ、過去の術者ではなく、それらを吸収させ続けた実技場の制御核へ戻っていく。

轟音が一度だけ響いた。

地下の制御核は粉砕され、隠されていた記録板が床からせり上がった。そこには、貴族生の違反攻撃、教師による点数改ざん、事故として処理された負傷者の名まで、吸収された履歴とともに刻まれていた。

木偶は初めて傷だらけの姿をさらし、それでも倒れなかった。

沙夜は木剣を振らずに置いた。

グスタフの顔から血の気が引く。記録板を見た学院監察官メリエルが観覧席から立ち、試験官章を外すよう命じた。そして沙夜へ向き直る。

「傷をつける課題は、達成です」

彼女は木偶ではなく、暴かれた学院の古傷を見た。

「いえ――治す資格まで、あなたが得ました」