梅の木は予定表を持たない

 早乙女千鶴は、結婚式場で十三年働いた。

 開宴時刻、入場曲、乾杯、手紙、花束。幸福は分単位で進み、少し遅れれば笑顔の裏で全員が走った。

 退職して山里の古民家へ移ったあとも、千鶴は毎朝、畑仕事を十五分刻みで手帳へ書いた。

 庭には古い梅の木が一本あった。

 二月の終わり、千鶴は開花予想を調べ、剪定の日、肥料の日、写真を撮る日まで決めた。ところが急に暖かい日が続き、予定より一週間早く花が開いた。

「聞いてない」

 縁側で呟くと、通りかかった近所の女性が笑った。

「梅は招待状を読まないからね」

 花は、千鶴の都合に関係なく咲き、風の日には散った。

 六月には実が落ち始めた。千鶴は傷のないものだけを選ぼうとしたが、女性は斑点のある実も拾う。

「腐ってなければ、香りは同じ」

 二人で青梅を洗い、竹串でへたを取り、氷砂糖と瓶へ詰めた。

 千鶴は層をきれいにそろえた。女性の瓶は大小の実が勝手に転がっている。

「どっちが正解ですか」

「飲める方」

 その答えが、式場のマニュアルにはない種類の正しさに思えた。

 瓶は台所の隅へ置いた。

 千鶴は毎日揺らしたが、三日目から時刻を決めるのをやめた。朝の日もあれば、夕方の日もある。忘れた日は、翌日に二度振ったりもしなかった。

 氷砂糖はゆっくり溶け、青かった実は皺を寄せた。

 夏の終わり、女性を縁側へ招き、梅シロップを冷たい水で割った。

 硝子の中で淡い金色が揺れ、口に含むと酸味のあとから丸い甘さが広がる。

「予定より、おいしくできました」

「予定を食べたことがないから比べられないね」

 二人で笑った。

 梅の木の下には、拾いきれなかった実が二つ残っていた。翌朝には鳥につつかれていたが、千鶴はそれも予定外の分け前だと思えた。

 千鶴は手帳を開き、その日の欄へ「梅を飲む」とだけ書いた。

 時刻は入れなかった。

 庭では梅の葉が夕風に擦れ、古い柱から乾いた木の匂いがする。氷の溶ける音と、遠くの蜩の声。誰にも進行を促されない時間が、薄い硝子の中へゆっくりたまっていった。