次のお客さまへ

午前二時、看護師の道脇初音は、病院からの帰り道で小さな店を見つけた。

白い暖簾に《願い、一件》とあり、その下に赤字で《お渡し先は次のお客さま》と書かれている。

意味は分からなかったが、初音は入った。

三十時間近く眠っていない。人手不足で夜勤が続き、帰宅しても耳の奥でナースコールが鳴る。眠れば受け持ちの患者が悪くなる気がして、目を閉じることまで仕事の放棄に思えた。

「一晩、何も考えずに眠りたいです」

店主は小さな番号札を渡した。そこには《二番》とある。

「私が最初の客では?」

「次の方へお渡しします」

初音は暖簾を見直した。

「つまり、私の願いを、次の人が?」

店主は湯呑みを磨くだけだった。

こんな時間に次の客など来ない。初音は腹立ちまぎれに椅子へ座り、待つことにした。

十分後、暖簾が跳ね上がった。

若い女が、泣き叫ぶ赤ん坊を抱えて入ってきた。髪は乱れ、片方の靴下がずれている。

「すみません、ここ、薬局じゃ……」

言い終える前に、赤ん坊が泣きやんだ。

ぽかんと口を開け、それから母親の胸に頬をつけ、眠った。深く、柔らかく、全身を預ける眠りだった。

母親は立ったまま、声を殺して泣き始めた。赤ん坊の握った小さな拳だけが、ときどき夢の続きを探すように動いた。

「この子、三日ほとんど寝てなくて。私も、どうしたらいいか……」

初音は番号札を見た。《二番》の文字が消えている。

自分の願いだ、と言いかけてやめた。代わりに椅子を勧め、赤ん坊の呼吸を確かめた。規則正しい。頬の色もいい。

「今のうちに、あなたも少し目を閉じてください」

「でも」

「起きたら私が知らせます」

母親は何度も頭を下げ、赤ん坊を抱いたまま眠った。

初音は二人のそばで、朝まで起きていた。不思議とナースコールは聞こえなかった。

空が白む頃、店主が初音に温かい茶を出した。

「願い、損しましたか」

初音は、寄り添って眠る二つの頭を見た。

「いいえ。私、こういうふうに眠りたかったんだと思います」

帰宅すると、制服のまま布団へ倒れた。

目覚ましをかけ忘れたことにも気づかず、初音は昼過ぎまで眠った。誰の眠りも奪わずに。