母を交換しない日

 四十二歳になってから、自分が赤ん坊のころ取り違えられていたと知らされた。

 病院の保管資料と、偶然受けた遺伝子検査が一致したのだ。

 もう一人の女性と会う約束をした。彼女は、私を産んだ母に育てられた人だった。

 駅前の喫茶店で、私たちは互いの顔を見た。

「似てないね」

 同時に言って、少し笑った。

 私を育てた母は三年前に亡くなっていた。彼女を育てた母も、前年に亡くなったという。

 テーブルの上には、二つの紙袋が置かれた。

 私は母の料理帳を持ってきた。彼女は母の声が入った古い録音機を持ってきた。

「お母さんを返しに来たみたいで、嫌だった」

 彼女が言った。

「私も。交換の続きみたいで」

 料理帳を開くと、カレーのページだけ汚れていた。母はいつも水を入れすぎ、最後に慌てて煮詰めた。

「あなたを産んだ人は、料理が上手だった?」

「全然。味噌汁を焦がした」

「味噌汁って焦げるの?」

「私もそう言った」

 録音機を再生すると、知らない母の声が流れた。

『今日は娘が成人式です。赤い着物がよく似合います』

 その娘は、向かいに座る彼女だ。

 胸が痛まなかったと言えば嘘になる。私が着るはずだった着物、聞くはずだった声。けれど録音の中の愛情は、奪われたものではなく、彼女が受け取ったものだった。

「私のお母さんも、あなたを大事にしたんだね」

 彼女は料理帳を撫でた。

「うん。あなたのお母さんも」

 私たちは、亡くなった母たちの話を交換した。

 寝相。口癖。怒ると食器を強く置くこと。雨の日に必ず傘を二本持つこと。

 血のつながった母を知るほど、育ててくれた母が薄くなるのではないかと怖かった。

 実際は逆だった。

 別の母の人生を聞くたび、自分の母が私へ注いだ四十二年の形も、はっきり見えた。

 帰り際、彼女が料理帳を返そうとした。

「持っていて。コピーはあるから」

「でも、形見でしょう」

「あなたを産んだ人の娘に、私を育てた人の味を覚えてほしい」

 彼女は録音機を私へ渡した。

「じゃあ、あなたも声を持っていて」

 私たちは母を交換しなかった。

 ただ、知らなかった母を一人ずつ増やした。

 次の命日、二人で墓参りをした。墓は別々の町にあったので、一日に二か所回った。

 どちらの墓前でも、私たちは同じ言葉を言った。

「あなたの娘は、元気です」

 その言葉がどちらを指すのか、もう決める必要はなかった。