母子手帳の余白

妊娠八か月の帰り道、私は電車で立っていた。

優先席は埋まり、つり革も遠い。お腹の子が肋骨のあたりを蹴るたび、呼吸を整えた。

向かいの座席から、小学生くらいの女の子が立った。

「赤ちゃん、ここに座らせてあげて」

隣の母親が慌てた。

「あなたが疲れてるでしょう。今日は遠足だったんだから」

「でも私は一人ぶんだよ。この人は二人ぶん」

女の子は得意そうに言い、私の手を引いた。

私は座り、何度も礼を言った。女の子は大きなリュックを背負ったまま、降りるまで私の前に立っていた。眠そうに目をこすりながらも、座席へ戻ろうとはしなかった。

帰宅して母子手帳を開き、健診記録の余白へ書いた。

〈今日、あなたは知らないお姉ちゃんから、最初の席を譲ってもらいました。

生まれる前から親切にされたことを、いつか話します〉

娘が生まれると、私はその話を毎年のようにした。幼稚園のころは「お腹の中で座ったの覚えてる」と嘘をつき、中学生になると「またその話」と笑った。

十八年後、娘は進学のため家を出た。

新生活の荷物へ母子手帳を忍ばせたことを、私は言わなかった。迷惑がると思ったからだ。

一か月後、娘から写真が届いた。

電車の窓を背景に、母子手帳の余白が写っている。私の字の下へ、娘の字が一行増えていた。

〈今日、満員電車で妊婦さんに席を譲りました。

立ったら足が痛かったです。あのお姉ちゃんも、たぶん疲れていたと思います。

やっと、ありがとうの重さが分かりました〉

続けて、短いメッセージが来た。

〈十八年ぶん、届いたよ〉

私は台所で泣いた。

あの日の女の子の名前も、今どこにいるかも知らない。娘が席を譲った妊婦の名前も知らない。

親切は、返す相手を探さない。

受け取った人の中で長く座り、いつか別の誰かが必要としたとき、静かに立ち上がる。

母子手帳には、娘の出生体重や予防接種の日付が並んでいる。

けれど私がいちばん残してよかったと思う記録は、生まれる前の娘が、知らない人から受け取った一席のことだった。