水曜日の合鍵
同棲する二人の影は、住所を分けて登録する。
人間が同じ部屋で暮らしても、影は別々の玄関から帰らなければならない。会ってよいのは水曜日の二十三時から十三分間だけ。その間、持ち主は照明を消し、影の行き先を見てはいけない。別れた後も合鍵を返すのは人間ではなく影の役目だった。
藪下奏太と久慈木澪が暮らした部屋には、玄関が一つしかなかった。そこで管理会社は、靴箱の下に影用の小さな扉を取りつけた。奏太の影は東口、澪の影は西口と書かれた札を首に下げ、毎晩別々に帰ってきた。
水曜日になると、二人は二十三時ちょうどに明かりを消した。暗闇の中で、影たちだけが床を離れ、どこかへ歩いていく。戻るまでの十三分、奏太と澪は話をしなかった。影に聞かせてはいけない話などないはずなのに、声を出すと何かを邪魔する気がした。
別れを言い出したのは澪だった。
「嫌いじゃないまま終わりたい」
奏太も同じだった。喧嘩はなく、浮気もない。二人分の生活が、少しずつ一人分ずつに戻っただけだ。家具を分け、冷蔵庫の調味料を数え、最後に合鍵をテーブルへ置いた。
ただし影用の合鍵は、水曜日に影同士が返さなければならない。澪は日曜に引っ越したため、次の水曜日まで奏太が部屋を預かった。
二十三時、明かりを消す。奏太の影は靴箱の下から出ていった。澪の影も、主のいない西口から入ってきた。二つは廊下で向かい合い、十三分間、動かなかった。
奏太は時計の秒針を聞いた。見てはいけないので、目を閉じた。澪の歯ブラシを捨てたこと、ベランダの鉢を持たせ忘れたこと、最後の朝に彼女がいつもの量で味噌汁を作ったことを思い出した。
二十三時十三分、床が冷えた。明かりをつけると、澪の影はいなかった。奏太の影は踵へ戻っている。
影用扉の前に合鍵が落ちていた。人間用よりずっと小さく、黒い金属でできている。規則では、返された鍵を拾うのは翌朝でなければならない。
奏太はそのまま眠った。
朝、鍵はなくなっていた。代わりに、玄関の外から細い水滴の跡が続いていた。雨は降っていない。跡は西へ向かい、角で二つに分かれていた。
靴箱の下には、澪が忘れた鉢の土へ半分埋まった、まだ温かい黒い鍵が一本残っていた。