水滴ゼロ選手権
高速道路のサービスエリアで、最初に宣言したのは小学三年生だった。
「ぼくのところ、水滴ゼロ!」
少年は手を洗ったあと、備え付けのペーパーで洗面台を一周拭き、母親へ胸を張った。
隣の会社員が反応した。
「こちらもゼロです」
その横の大学生も負けじと拭いた。
「鏡の下までゼロ」
いつの間にか、男子トイレの洗面台で非公式の競技が始まった。
競技規則。
一、自分の水滴を残さない。
二、前からあった水滴を拭いても加点なし。
三、急いでいる人の邪魔をしない。
四、使うペーパーは一枚まで。
「一枚で足りない場合は?」
「手を振りすぎです。減点」
「審判は誰?」
「ぼく」
少年が勝手に決めた。
長距離運転手は、手を洗う前に袖をまくる技で飛沫を減らした。
老人はハンカチを使い、環境配慮点を主張した。
外国人旅行者はルールが分からないまま、皆を見て洗面台を拭き、大きな拍手を受けた。
騒ぎを聞きつけた清掃員が入ってきた。
全員が叱られると思って静かになった。
清掃員は、乾いた洗面台を見回した。今日は同僚が急に休み、広い施設を一人で担当していた。昼食もまだだった。
少年が尋ねた。
「だれが優勝ですか」
清掃員は考え、答えた。
「次に使う人です」
「何もしてないのに?」
「皆さんのおかげで、乾いたところから始められるから」
少年は納得し、出口へ向かった。すると父親が、自分の靴から落ちた泥を見つけて拾った。会社員はごみ箱の横の紙くずを入れ、大学生は乱れたパンフレットをそろえた。
競技が別種目へ拡大したらしい。
清掃員は休憩室へ戻り、冷めたおにぎりを食べた。いつもより十分早く座れた。
午後、洗面台の鏡には小さな紙が貼られた。
〈本日の優勝者――次の人。
参加方法――水滴を一つ拭いて退場〉
公式大会ではない。
賞品もない。
それでもその日、サービスエリアでは、知らない人同士が次々に優勝した。
一か月後、同じ家族が再び立ち寄った。
少年は鏡の紙を見つけ、「まだ大会やってる!」と喜んだ。父親は笑いながら参加し、今度は妹まで小さな手で縁を拭いた。
清掃員は遠くから見ていたが、審判にはならなかった。
優勝者を決めないからこそ、誰でも次の人を勝たせられる競技だった。