海底トンネルの留守番電話

白妙研人が留守番電話を再生すると、二分後の海底トンネルから声が届いた。

『こちら路線バス四十一号。壁から水が出てる。北門を閉めてくれ』

運転手の背後で、乗客が落とした硬貨が床を転がっていた。研人は港湾防災室の閉鎖ボタンを押す。巨大な北門が下り、バスは浸水区画から逃れた。

だが保守員三人が門の外に残り、濁流に消えた。水が制御室の窓を割ると、研人はまた留守番電話の前にいた。

北門を開けたままにした回では、保守員は戻ったが、バスが海水に呑まれた。

さらにバスを後退させ、保守員を南へ走らせても、亀裂が伸びる速度のほうが速かった。

『北門を閉めてくれ』

硬貨の音まで同じだった。

研人は古い設計図を広げた。トンネルの圧を逃がす緊急排水路が、海辺の再開発地区で途切れている。二十年前、父の会社が高級住宅棟を建てるため、排水路の出口をコンクリートで塞いだ。研人の母も、最上階に住んでいる。家族の資産のほとんどがその一室だった。今夜は高潮警報で住民全員が内陸のホテルへ退避しているが、建物と家財は残る。父の死後、母は海を見下ろす居間だけを誇りにし、売却の話を一度も許さなかった。研人の机には、その部屋を担保にした介護契約書も置かれている。

北門か南門かではない。塞がれた出口を開けば、圧力は住宅地区へ抜ける。残された条件は単純だった。バスと保守員が同時にトンネルを出るまで、壁を破裂させないこと。

次の留守電が始まる前に、研人は解体用の遠隔雷管を起動した。再開発地区の基礎に、工事時代の発破孔が残っている。

母へ一度だけ電話した。

「家を壊す。ごめん」

理由を聞かれる前に切り、起爆した。

地図上で住宅棟の地下が赤く消える。海水はトンネルではなく、遊歩道と地下駐車場へ噴き上がった。四十一号の位置表示と保守員の発信器が、同時に安全区域へ入る。

二分を越えても時間は戻らなかった。

留守番電話には新しい伝言が残った。

『北門、閉めなくてよかった。助かった』

研人は返事をせず、浸水していく自宅の固定資産証書をシュレッダーへ入れた。窓の向こうで、家族の名前を冠した住宅棟がゆっくり傾いた。