潮が運ぶ銀貨
引き潮になると、セシルの牡蠣籠は海から上がる。
岬の岩に刻んだ潮汐術式が、海底の籠を順番に引き寄せるのだ。殻の厚みを測り、育った牡蠣だけを木箱へ移し、小さな帆船へ積む。帆船は無人のまま港の競り場へ向かい、夕方には空箱を連れて戻ってくる。
セシルは桟橋の端で、足を海へ浸していた。
以前勤めていた港務局では、一日じゅう濡れた帳簿を抱えて走った。船が遅れれば叱られ、嵐で桟橋が壊れても、報告書の時刻が遅いと減給された。納屋には塩で白くなった制服が吊られている。袖は何度洗っても潮の匂いが抜けない。
海面がきらりと割れ、最初の籠が上がった。
金具が鳴り、牡蠣が選別され、帆船の腹へ収まっていく。セシルは何も数えない。波の回数さえ数えず、ただ足首を撫でる冷たさを楽しんだ。
昼過ぎ、貝殻型の通知器が開いた。
《本日の牡蠣、全箱落札。代金の受領を確認》
競り値を追いかける必要も、港の顔色を読む必要もない。術式は最低価格を下回れば持ち帰るよう組んである。売れない日さえ、セシルの失敗にはならない。海が育てたぶんだけ受け取り、残りは次の潮へ返せばいい。その余裕を、港務局では一度も教わらなかった。
同時に、灰色の通信灯が点滅した。
『至急戻れ。入港記録が三日分滞っている』
元局長の字だった。
セシルは帆船が水平線の向こうへ消えるのを見届けてから書いた。
『戻りません』
『君が辞めてから現場が混乱している』
『私がいた頃から混乱していました』
『港を支える責任を忘れたのか』
セシルは笑った。局長はいつも「港のため」と言ったが、嵐の夜に外へ出るのは部下だけだった。
『私が支えるのは、この桟橋までです』
送信すると、灰色の灯を外して道具箱へしまった。
夕方まで、もう用事はない。潮汐術式は空箱の洗浄まで終えてくれる。セシルは冷やしておいた果実水を一本取り出し、古い小舟に寝転んだ。
波に揺られながら空を見上げる。港の鐘が何度鳴っても、彼女は数えなかった。