無音の戦勝祭
戦勝祭には、百八門の大砲が用意されていた。
薬師ニナは砲身を見ただけで耳鳴りがした。故郷が焼かれた夜も、同じ乾いた爆音が続いていた。
広場へ出る直前、皇帝ヴァルシオが彼女の耳を見た。
「痛むのか」
「平気です」
「平気な者は、鐘が鳴る前から耳を塞がない」
皇帝は砲兵長へ命じた。
「火薬を抜け」
七万の反乱軍を半日で鎮めた皇帝の命令に、異議を唱えられる者はいない。それでも式典官は震えながら進言した。
「祝砲なしでは勝利の威容が」
「旗を上げれば足りる」
ヴァルシオはニナへ柔らかな布の耳当てを渡した。以前、硬い金具は頭が痛くなると言ったことまで覚えている。
「念のため持て」
「使わなくても?」
「おまえが決めろ」
祭りが始まると、皇太后がニナを壇上へ呼んだ。
「皇帝を救った薬師として、民衆の前で忠誠の口づけを」
ニナは足を止める。
「しません」
皇太后の扇が閉じた。
「帝国中が見ているのですよ」
「見られているからこそ、したくありません」
ざわめきが広がる。皇帝へ口づけを拒むなど、死罪に等しい。
ヴァルシオは壇上から降り、ニナの隣へ立った。ただし手を取らず、帰路を塞がない位置に。
「祭りを見るか。医務室へ戻るか」
「ここで、旗だけ見たいです」
「そうしよう」
皇太后が声を強めた。
「陛下の寵愛を受けながら、礼を尽くさぬ者をお許しになるのですか」
皇帝は砲兵隊の点火杖を折った。
「許すのではない。彼女に許可を求める立場なのは余だ」
百八門の大砲は沈黙し、代わりに白旗と黒旗が一斉に上がった。
その下で、ヴァルシオは全臣民へ宣言した。
ニナは耳当てを見つめ、片方だけ着けた。完全に音を遮ると不安になるという、彼女なりの選択だった。ヴァルシオは左右をそろえろとも、外せとも言わない。
旗手が「臆病者に見える」と囁くと、皇帝はその者を隊列から外した。
「恐怖を隠すことが勇気ではない」
ニナが自分で決めた守り方を、勝利の場で恥と呼ばせない。そのためだけに、皇帝は祭典の作法を書き替えた。
「ニナの身体を勝利の演出に使うな。口づけも接触も、本人の同意なしには余であろうと禁ずる」