父という連絡先

二十七歳の野々市絃平は、地方史研究会の共有ドライブで「名寄せ」という古いアプリを見つけた。墓前で使う《名呼び》を、電話帳の空き番号で行うものだという。

添付された聞き書きには一行だけ太字があった。

《儀式で表示された番号を、名前付きで連絡先へ保存してはいけない》

理由は「名を付けると縁が結ばれる」から。番号だけなら死者の声は一夜で消えるが、名を与えると家族として帰ってくる、と老人は語っていた。

絃平の父は三年前に病死した。最期の電話に出られなかったことを、今も引きずっている。

アプリへ父の命日と墓の方角を入力すると、十一桁の番号が浮かんだ。通話ボタンはない。午前零時まで待てば、一度だけ着信するらしい。

番号を覚えておく自信がなく、絃平は連絡先へ追加した。名称欄で指が止まる。

名無しのまま保存すれば規則は守れる。だが、父からの電話が「不明な発信者」と表示されるのが耐えられなかった。

彼は一度だけ、〈父〉と入力した。

午前零時、着信した。

「絃平か」

父の声だった。録音に残る咳払いまで同じだった。

「うん」と答えると、向こうで安堵した息が漏れた。

「名前を付けてくれて、助かった」

通話は切れた。連絡先から番号を消そうとしたが、削除ボタンが灰色になっている。カードの関係欄には〈父〉、共有家族には〈絃平〉と表示された。

通話履歴を通信会社の明細で確認すると、父の番号からの着信ではなかった。発信元は絃平自身のSIMで、通話時間中も端末は一台しか基地局へ接続していない。録音を逆再生すると、父の声の背後で絃平がまだ話していない返事を先に囁いていた。

〈うん、帰ってきて〉

その一言だけは、現在の絃平の声だった。

翌朝、母からメッセージが届いた。

〈家族グループに誰を入れたの?〉

参加者一覧には、父の古い写真が戻っていた。さらに絃平自身の表示名が〈息子〉へ変わっている。

その夜、地図アプリが通知した。

〈父が自宅に到着しました〉

位置ピンは、絃平の部屋の中にあった。

直後、玄関のスマートロックが普段どおりの音声を流した。

「ご家族が解錠しました」