片方だけのパンプス
玉城美冬は、階段の途中で銀色のパンプスを拾った。二段上では、片足だけ裸足の女性が手すりにつかまっている。もう片方の靴は履いたままだが、踵が根元から折れていた。
「駅員さんにスリッパを借りたほうがいいです」
「これで行きます。あと一駅なので」
「ガラスが落ちていたら危ないですよ」
女性は靴を受け取り、折れた踵を見た。銀色の表面には、駅の床で擦れた黒い筋がついている。今夜は自分が衣装を担当した小さな舞台の千秋楽で、客席ではなく裏方として最後まで立つつもりだという。見せる相手が恋人でなくても、選んだ服で仕事を終えたいらしい。
美冬には、そのこだわりが余計に分からなかった。裏方ならなおさら、歩ける靴が一番だと思う。
「好きで履いてきたんです。だから最後まで自分で持ちます」
美冬は、靴は歩くための道具だと思っている。会社にも黒いスニーカーで行き、服装規定と何度も揉めた。足を傷めてまで飾る選択を、尊重しろと言われても困る。
女性は逆に、美冬の両手に下がる買い物袋を見た。
「それ、全部一人で持つんですか」
「持てるので」
「持てることと、持つべきことは別じゃないですか」
自分の言葉を少し変えて返された気がした。
美冬の通勤鞄には、雨の日用の折り畳みシューズが入っている。薄い黒の一足を出すと、女性は値段を尋ね、五百円玉を差し出した。美冬が「千二百円です」と正直に答えると、女性は買い物袋の重いほうを持ち上げた。
「不足分は運びます」
二人は取引のようにうなずいた。女性は黒い靴を履き、折れた銀色を片手に提げる。美冬は軽くなった袋を持ち、並んで階段を下りた。女性は折れた踵をハンカチで包み、尖った金具が誰にも当たらないよう買い物袋の外側へ固定した。美冬は、その手際だけは実用的だと思った。
途中で発車ベルが鳴ったが、どちらも走らなかった。ホームに着くと、女性は袋を美冬の足元へ置き、銀色の靴を胸の前ではなく普通の荷物として持ち直した。
「五百円分より重かったです」
「靴も、五百円分より似合ってます」
意見は変わらないまま、次の電車を待つ位置だけが同じになった。