猫ではなく人
叶瀬は、同居人の未弦を待っている自分を認めたくない夜、猫の動画を見る。猫なら玄関の音に耳を立てても自然だし、餌の時刻にそわそわしても格好がつく。
二人の部屋に猫はいない。ペット不可の古い二DKで、いるのは水の減った観葉植物と、未弦が干したままの縞模様の靴下だけだ。
未弦は書店の棚卸しで遅くなると言った。叶瀬は一人分の焼きうどんを作るつもりで、なぜかキャベツを二人分刻んだ。包丁の音が止まると部屋が広くなるので、芯まで細かく刻んだ。ソースを入れれば、窓ガラスに甘辛い匂いが張りつく。
零時前、廊下を誰かが通るたび、叶瀬は動画の音量を下げた。猫が画面の中で段ボールへ飛び込み、失敗する。笑ったところへ、隣室の鍵が鳴る。違う。再生を戻す。三度目の足音だけが、この部屋の前で止まった。
「ただいま。何か焦げてない?」
「焦げ目。仕様」
未弦は紙袋から、売れ残りをもらったという小さな焼き菓子を出した。コートには紙と埃の乾いた匂いがついていた。
二人は深夜の台所で、少し伸びた焼きうどんを分けた。未弦が「待ってた?」と訊くので、叶瀬は画面を示した。
「猫を見てた」
「うち、猫いないのに」
「だから見てるんだよ」
未弦は納得したようなしないような顔で、焦げたキャベツを食べた。動画の猫は何度でも段ボールへ飛び込み、台所にはソースとバター菓子の匂いが重なる。叶瀬は再生を止めた。今はもう、耳を澄ます理由がなかった。
焼き菓子は二つしかなく、未弦は大きいほうを叶瀬へ押した。棚卸しで同じ本を何十冊も数えたせいで、まだ指が数字を覚えているらしい。机を二度、三度と叩いてから笑う。叶瀬は小さいほうと交換し、理由を言わずに噛んだ。冷めたバターの香りが口に広がる。廊下の向こうでまた誰かの鍵が鳴ったが、もう二人とも振り向かなかった。画面の中では停止された猫が、箱へ飛ぶ直前の格好で浮いていた。