猫の退職辞令

【丸福印刷所 臨時会議議事録】

議題一。

 創業五十六年をもって廃業する当印刷所の古参猫、ハンコ(二十歳・役職不明)の退職後処遇について。

 工場長は自宅で引き取ると発言。ただし妻が猫アレルギーであるため即時撤回。

 製本係は立候補。ただし集合住宅は動物不可。

 配達係は「うちなら庭がある」と主張したが、大型犬二頭がいると判明し、会議全体から却下された。

 当猫は議論中、社長席で眠り、意見を表明せず。

議題二。

 ハンコの功績確認。

 活版機の油差し中、危険区域へ入った回数、百七十二回。

 納品前の束へ座り込み、乾燥を遅らせた回数、計測不能。

 原稿の誤字の上へ偶然前脚を置き、修正に貢献した回数、三回。

 以上をもって「役に立ったとは言い難い」と工場長が総括したところ、全員が異議を申し立てた。

 昼休みに膝を貸した。

 残業の夜に鳴いた。

 失敗して泣いた新人の靴へ、黙って座った。

 社長が妻を亡くしてから、毎朝必ず出迎えた。

 議事録係は、これらを業務として数えるか判断できず、記載のみ行う。

議題三。

 当猫が突然、廃紙箱へ移動。箱の底から過去の印刷見本が発見された。

 町の祭りのポスター。

 閉校した小学校の文集。

 製本係の結婚招待状。

 配達係の長女の誕生はがき。

 工場長の父の会葬礼状。

 五十六年分の暮らしが、色の褪せた紙になって残っていた。

 そのとき、入口に若い女性が来訪した。手に赤ん坊を抱き、「出生報告のはがきを百枚」と注文。女性自身の誕生はがきも、二十七年前に当所で刷ったという。

 社長は「本日で閉店です」と断りかけた。

 ハンコが廃紙箱から出て、止めたはずの印刷機の足元に座った。

 会議参加者一同、これを反対意見と解釈。

決議。

 一、丸福印刷所は完全廃業を撤回し、毎週土曜日のみ町の印刷室として営業する。

 二、元従業員は交代で勤務する。

 三、ハンコを嘱託会長として再雇用する。報酬は煮干し、昼寝場所、膝。

 最初の仕事は、赤ん坊の誕生はがきだった。

 印刷機が久しぶりに動き出すと、ハンコは驚いて目を覚ました。刷り上がった一枚目へ歩み寄り、まだ乾かない紙の隅に、前脚の跡をつけた。

 社長はそれを捨てず、壁へ額装した。

〈嘱託会長 初仕事〉

 ハンコは翌週も出勤し、会議には一度も参加しなかった。