王命を一目ずつほどく
宮廷刺繍工ベルンは、即位式の大広間で柱の陰に立たされていた。
彼が三年かけて縫った戴冠衣を、新王子カルドゥスは一度も見ずにまとった。
「糸を並べただけの平民が、王族の近くへ寄るな」
褒賞の代わりにそう告げられ、衛兵がベルンの胸を押す。
彼の技能は、豪華な刺繍を作るためのものではない。
【固有スキル《糸解き》:縫い目の構造を見抜き、素材を傷めず一本ずつ解く】
司祭が王冠を載せた瞬間、戴冠衣の金刺繍が赤く光った。
広間にいた者が一斉に膝をつく。老王も将軍も、他国の使節さえ床へ額を押しつけた。立っているのは新王子と、衣を縫ったため術式から除外されていたベルンだけだった。
「父上には退位していただく。今より私の言葉が法だ」
カルドゥスが笑う。
刺繍の図案は、王家の守護紋だと渡されたものだった。だが光の流れを見れば分かる。無数の命令文が糸の下に隠され、戴冠衣を中心に国民の意思を縛っていた。
魔術師が床に伏したまま叫ぶ。
「支配術は完成している! 燃やせば術が暴走するぞ!」
ベルンは新王の前へ歩いた。跪けという力が骨まで押し潰そうとしたが、彼の指だけは三年分の縫い目を覚えている。目を閉じても、どの糸がどこへ続くか分かった。
「私の衣に触れるな」と剣が抜かれる。
「これはあなたの衣ではありません。私が縫い、私が間違いを直す品です」
彼は裾の裏に隠した、たった一つの返し目をつまんだ。
そこは王子が納期を縮めさせた夜、図案に不審を抱いたベルンが残しておいた糸口だった。
一本引く。指先へ焼けるような抵抗が返るが、ベルンは三年間の侮辱ごと糸を手繰った。
肩の支配紋がほどけ、将軍が立つ。
もう一本。胸の服従文が崩れ、老王が顔を上げる。
最後に王冠へ続く金糸を抜くと、命令術はすべて逆流し、カルドゥス一人の手足を縛り上げた。
豪奢な衣は無地の白布へ戻った。
ベルンの足元へ膝をついたのは国民ではなく、簒奪に失敗した王子だけだった。
【職業《宮廷刺繍工》が上位職《呪文解紋師》へ書き換わりました】