王妃の震える菓子

 王妃の誕生宴を前に、菓子房では百個の卵菓子が失敗していた。表面は割れ、中はぼそぼそ。炎魔法で一気に焼く王国では、卵は固めるほど上等だとされていた。

 だが王妃は療養明けで、硬い菓子を食べられない。侍医からは『匙だけで食べられるもの』と注文が出ていた。残りの卵は百二十個。次に失敗すれば、誕生宴の甘味は塩漬け果実だけになる。

 白瀬杏奈は、皿洗いとして菓子房に入ったばかりだった。

「水を運ぶだけの者が、口を出すな」

 菓子長マルセルに叱られた杏奈は、それでも大きな天板へ湯を張った。卵液を入れた小鉢を並べ、天板ごと窯の弱い場所へ滑らせる。

「菓子を水に浮かべる気か!」

 杏奈は返事をせず、窯の扉を閉じた。使った知識は湯煎だけ。直接の強い熱を避け、水を介してゆっくり火を入れる。

 火魔法を弱めるのではない。小鉢の周りにある湯が、激しい熱を受け止める。杏奈は湯が荒く沸かない位置を選び、何度も扉を開ける代わりに砂時計だけを見た。皿洗いしか任されなかった彼女の手が、厨房でいちばん静かだった。

 待つ間、マルセルは従来の小鉢を焼いた。早く固まったが、また中央が裂けた。

 杏奈の小鉢は時間がかかった。だが取り出した表面は、月のようになめらかだった。皿を揺らすと、全体が同じ幅でふるえる。

 毒見役が匙を入れる。音もなくすくえ、口の中で消えた。表面と中央、器の底を別々に確かめても、どこにも固い膜がない。割れた試作品は底ほどゴムのようだったが、杏奈の菓子は最後の一匙まで同じ滑らかさだった。

「噛む前になくなったぞ」

 菓子房の全員が息をのむ。焦げた卵の匂いはなく、乳と蜂蜜の香りだけが残っている。

 マルセルは杏奈の小鉢と自分の小鉢を並べた。片方は亀裂だらけ、片方は鏡のようだった。言い訳のできない差だった。

 そこへ宴の確認に来た王妃が一匙だけ味見をする。二匙目を取る前に、侍従へ言った。

「今夜の最後は、これにします。百二十個、同じ揺れで」

 マルセルが青ざめる横で、杏奈は残りの小鉢を湯へ並べた。

 王妃は皿洗い用の灰色札を杏奈の胸から外し、菓子房の白い注文札をそこへ留めた。