留守番電話の四番目
実家を売る前日、きょうだい三人は古い留守番電話を再生した。
『部活、遅くなる。夕飯いらない』
高校生だった長男の声。
『傘、駅に置いた。お母さん、持ってきて』
泣きそうな次女の声。
『牛乳買ってきて。あと、今日は誰も喧嘩しないで』
まだ小さかった末弟の声。
三人は笑った。
「最後のお願い、難易度高い」
機械には、両親の声も残っていた。
『帰りが遅い。先に食べて』
父。
『お父さん、鍵を忘れてる。聞いたら駅まで持ってきて』
母。
どの伝言も、ありがとうとは言っていなかった。
頼みごと、報告、忘れ物。家族だから当然だと思っていた言葉ばかりだ。
両親は今、小さな高齢者住宅で暮らしている。父は耳が遠くなり、母は長い電話を疲れるようになった。きょうだいも別々の町にいる。
「この機械、持っていく?」
次女が尋ねた。
「置く場所ない」
「音だけ保存する?」
「全部?」
長男は再生ボタンを押し続けた。
『迎えに来なくていい。自分で帰る』
反抗期の次女。
『試験、落ちた。今日は話したくない』
就職前の長男。
『お母さん、病院から電話して』
父の入院中に残された末弟の声。
短い伝言の裏で、誰かが駅へ傘を持ち、何も聞かず夕食を温め、病院から折り返していた。
「うちって、結構ちゃんと家族だったんだね」
末弟が言った。
「今さら?」
「そのときは、誰かがやって当然だったから」
最後の記録は、父と母が引っ越した日のものだった。
『この家の電話は今日で終わりです』
母が言う。
少し離れたところから父の声。
『用がなくても、たまにはかけろ』
『留守番電話じゃないんだから、自分で出て』
二人の笑い声で録音は切れた。
三人は機械を箱へ入れず、処分する棚へ置いた。
代わりに家族の連絡画面へ、音声を一つずつ送った。
『今日は実家の片づけが終わりました』
『お父さんとお母さん、夕飯は食べた?』
『用はないけど、声を残します』
すぐに父から短い返信が来た。
『聞こえた』
ありがとう、とは誰も言わなかった。
それでも四番目の声が返ってきたことで、三人は十分にありがたいと思った。