白狼さまは花粉症
春の薬草市へ白狼が現れた日、人々は世界の終わりを覚悟した。
白狼は屋根より大きく、鼻先をひくつかせている。次の瞬間、
「ぶえっくしゅん!」
突風が通りを走り、薬草籠が三十個まとめて宙を舞った。
「咆哮だ!」
「神罰だ!」
皆が逃げる中、薬屋の下働きソニアは飛んできた黄花を頭からかぶった。試験には三度落ち、薬師を名乗るなと言われている。それでも、赤い鼻と涙目が病の印だということくらいは分かる。白狼もまた、眉間から鼻先まで黄色い粉まみれである。目は涙で潤み、鼻の周りが赤い。
「それ、怒ってるんじゃなくて、くしゃみですよね」
白狼が睨んだ。
「恥ずかしいのは分かります」
もう一度くしゃみが来そうになり、白狼は必死に鼻を前足で押さえた。怖がらせまいとしているらしい。その仕草を見たら、ソニアは放っておけなかった。
店から大桶と柔らかい布を持ち出す。水へ刺激の少ない月桂草を一枚だけ浮かべ、白狼の前に置いた。
「顔を洗わせてください。嫌なら右を向いて」
白狼は左を向いた。
「それは、いいってこと?」
鼻先が小さく上下する。ソニアは笑いをこらえ、濡れ布で目元から花粉を拭った。額、頬、鼻の脇。白狼は途中で三度くしゃみをし、そのたび市場の旗を吹き飛ばしたが、一度も彼女へ牙を向けなかった。四度目はソニアが布を差し出すと、律儀にそこへ鼻を押し当てて小さく済ませた。
最後に耳の裏まで拭くと、赤かった鼻がようやく落ち着いた。
避難していた領主が戻り、「神獣よ、我が館の庭を守れ」と命じる。庭はちょうど満開の黄花で埋まっていた。
白狼は領主を見て、盛大に一回くしゃみをした。
そしてソニアの薬屋へ頭を差し入れ、狭い店内で無理やり伏せる。棚が揺れたが、薬瓶は一本も落ちなかった。白狼の額から若葉色の契約印が浮かび、ソニアの指へ移る。市場の鑑定板には《神獣薬師・最高位》と表示され、三度落とした試験官が自分の眼鏡を拭き始めた。
「うち、狭いですよ」
白狼は気にせず、彼女の膝に頬を押しつけた。洗いたての白毛は春風のようにさらさらで、くしゃみのたび少し持ち上がる重い頭が、膝の上だけをぽかぽかに温めていた。