私は、閉まるようにできている

私は、町角の薬局にある重いガラス扉だ。

人が手を離せば、ばねの力で元へ戻る。早すぎず、遅すぎず、最後には必ず閉まる。それが私の仕事である。

だから、後ろから来る人のために私を押さえる人間を見ると、少し不思議に思う。

人間はよく、急いで私を通り抜ける。次の人が鼻先まで来ていても手を離す日もあれば、遠くの足音に気づいて、何秒も立ったまま待つ日もある。私には、その違いを決める仕組みがない。

ある冬の日、片腕のない男性が店を出ようとした。口には薬の袋、残った手には杖を持っている。そこへ、歩行器を押す老婦人が近づいてきた。

男性は背中で私を止めた。

「先にどうぞ」

「あなたのほうが大変でしょう」

「今日は背中が空いてますから」

老婦人は笑い、ゆっくり通った。私は男性の肩へ重みをかけ続けた。彼は顔をしかめたが、老婦人の歩行器が完全に外へ出るまで離れなかった。

店員があとで、「無理しなくてよかったのに」と言った。

男性は答えた。

「無理かどうかは、僕が決めます。できる日に一つできたなら、それでいいんです」

春、今度は男性が大きな紙袋を抱えて来た。底が破れかけ、杖まで床へ落ちた。私を引くことができず、入口で立ち尽くした。

内側から、あの老婦人が近づいた。

歩行器の前輪を私の下へ入れ、体重をかけて押さえた。

「今日は、こちらが空いていますから」

男性は杖と紙袋を拾い、店へ入った。

その後ろにいた小学生が、老婦人の歩行器が通り終えるまで、今度は両手で私を押さえた。誰かが誰かへ返した親切を見て、さらに別の誰かが覚えたらしい。

二人とも、自分を助けてもらった借りを返したとは言わなかった。ただ、その瞬間に使える手、背中、車輪を少し差し出しただけだった。

私は長いあいだ、親切とは強い人が弱い人へするものだと思っていた。

違った。

誰にでも、両手がふさがる日はある。

誰にでも、片方だけ空く瞬間がある。

昨日助けられた人が、今日は入口にいちばん近いこともある。

その一瞬を見つけた人が、私の閉まる力へ逆らってくれる。

私は今日も閉まるようにできている。

だからこそ、人が押さえて待つ数秒を、よく覚えている。

自動では生まれない余白が、そこにあるからだ。