私を試験にしないで
冷蔵庫に、私が書いた紙を貼る。
〈家族へ。私を試験にしないでください〉
診断を受けてから、子どもたちは毎日たずねるようになった。
「今日は何日?」
「ここはどこ?」
「私が誰か分かる?」
答えられる日は、みんな安心した。
答えられない日は、目をそらした。
私はそのたび、家族から落第した気分になった。
忘れていることは、自分でも分かる。
鍋を火にかけた理由。
洗った服をしまう場所。
電話を切ったあと、誰と話したか。
穴の開いた床を歩くようで怖い。
だから、正解できなかったときに「さっき言ったでしょう」と言われると、穴を見つけられなかった罰を受けているように感じる。
紙の続きを書く。
〈会ったら、先に名乗ってください〉
〈同じ話をしても、「二回目」と言わず聞いてください〉
〈危ないことは止めてください。でも、できることまで取り上げないでください〉
〈私が怒ったら、病気だけのせいにしないでください。嫌なものは嫌です〉
娘が読んで泣いた。
「私たち、心配で」
「知ってる。私も心配」
息子は、日付を尋ねる代わりに言った。
「今日は金曜日。これから一緒に昼ごはんを食べる」
娘は、私が自分の名を言えないとき、こう言った。
「あなたの娘です。会いに来ました」
それで十分だった。
月日がたち、私は紙を書いたことを忘れた。
ある午後、見知らぬ女の人が部屋へ入ってきた。
私は身構えた。
女の人は距離を空けて座った。
「私はあなたの娘です。今日は雨です。プリンを持ってきました」
「娘?」
「はい。でも、信じられなくても大丈夫」
その人は何も尋ねなかった。私の名前も、年齢も、昨日のことも。
一緒にプリンを食べた。
「あなたといると、間違えても怒られない気がする」
私が言うと、その人は笑いながら泣いた。
「そのために来ました」
帰り際、女の人は冷蔵庫の紙をまっすぐ貼り直した。
文字を書いた私は、もう遠い。
けれど家族は、その私が残した頼みを覚えている。
私は今日も、何問正解したかではなく、安心して同じ食卓に座れたかどうかで、一日を終える。