穀倉印の中は空だった
収穫祭の夜、黄金色の麦束が飾られた宴会場で、エルヴェ侯爵令息は婚約者カリスタを告発した。
「孤児院へ届けるはずの小麦三百袋が消えた。代金を管理していたのは彼女だ。横領犯との婚約を、今ここに破棄する」
彼が掲げた納品書には、カリスタの署名があった。客たちは、農村育ちの令嬢がついに本性を現したと囁いた。
カリスタは今年の不作を見越し、宴会用の白パンまで減らして小麦を確保していた。その節約を「貴族らしくない吝嗇」と笑った同じ人々が、今は空の倉を見てもいないのに、彼女を強欲と決めつけている。
カリスタは納品書を見て、ため息さえつかなかった。怒りを見せれば粗野、黙れば図星。ならば、麦と同じく量れる事実だけを出すしかない。
「その紙より、穀倉印をお確かめください」
農政卿オドランが、卓上の封蝋片を拾い上げた。納品書に付いていた、麦穂形の赤い封蝋である。
王国の穀倉印は、荷が実際に倉へ入った瞬間、吸った穀物の重さだけ内部に金粉が満ちる。空荷なら透明なまま。改ざんできない一度きりの計量印だ。
オドランが封蝋を灯りへかざす。
赤い蝋の内側は、空だった。
「三百袋は一度も穀倉へ届いていない。この納品書を作った者が、届く前の代金を受け取った」
封蝋の表面には、受領者としてエルヴェの印章が刻まれていた。証拠はそれだけで足りた。
エルヴェは慌てて笑った。
「商人に騙されたのだ。カリスタ、君なら農民との交渉に詳しい。婚約破棄は撤回するから、後始末を――」
「私が詳しいのは、土に落ちた麦を拾う手の重さです」
カリスタは静かに言った。
「空の穀倉を見た子どもたちへ、あなたが何を言うかは存じません。けれど、その言葉を整える仕事まで私にさせないでください」
婚約腕輪を外し、空の封蝋の隣へ置く。背を向けると、オドランが収穫祭の出口で手を差し出していた。
彼の領地には、帳簿を読める農政官が必要だという。だが選ぶのは彼女だった。
カリスタは麦束の間をまっすぐ歩き、自分の意思でその手を取った。