第八レーンの相手

轟木岳志は、学校プールの改修前調査を担当する潜水士だった。二十五歳。母校のプールは七レーンしかないが、排水口の図面には八本目の配管が描かれている。

水泳部OBのグループチャットには、毎年夏だけ固定される文があった。

《夜のプールで八番レーンから名前を呼ばれても、水面を見てはいけない》

かつてこの土地では、川で亡くなった子を探す際、水面へ名を呼び、返った泡の位置を「八つ目の流れ」と呼んだらしい。学校建設後、その役目をプールが引き継いだと郷土誌にある。

調査は午後八時に始まった。岳志は水中カメラを下ろし、底の亀裂を記録する。モニターには七本のコースロープのほか、壁際に白い線が一本映った。線の向こうを、誰かが同じ速度で泳いでいる。

イヤホンへ水音が入り、十二年前に事故で死んだ水泳部仲間の声がした。

「岳志、まだそっちにいるのか」

ルールを思い出したが、岳志は声の主を確かめたくなり、一度だけ水面を見た。

プールは鏡のように静かだった。水面には現在の岳志ではなく、十五歳の岳志が映り、その隣に制服姿の少年が立っている。少年が笑うと、水中カメラの映像から岳志自身が消えた。

岳志は機材を残して逃げた。翌日、管理会社が回収した映像には、無人のプールを二人分の波だけが往復していたという。

回収映像の音声には、岳志が水面を見た直後、二人でスタート台へ上がる足音が入っていた。片方はプールを出たが、もう片方は水中へ飛び込み、カメラの真下で待ち続ける。管理員が映像を停止した時刻にも、水だけが画面の外へ流れ、監視室の床に濡れた八の字を作ったという。岳志の靴底にも、帰宅後までプールの白い塗料が付いていた。

その夜、スマートウォッチの運動記録が勝手に同期された。

《水泳 五十メートル》

《レーン:8》

《参加者:2名》

削除ボタンを押す前に、画面が切り替わった。

《第八レーンの相手が、あなたとの記録共有を承認しました》

《相手は現在、同じ浴室にいます》

シャワーの排水口から、スタート合図の笛が一度鳴った。