花束は冷蔵庫へ

月岡梓が厨房へ飛び込んできたとき、高梨杏樹はオマール海老の皿を数えていた。

レストランウェディングの新婦が、ドレスの裾を両手で持ち上げ、裏口の前で立ち尽くしている。会場から拍手が聞こえた。新郎がワインを倒した若い給仕に怒鳴り、支配人が場を収めた直後だった。

「失敗したのは、あの子だよ」

杏樹は確認するように言った。料理人の彼女は、忙しい現場で声が荒くなることを知っている。一度の失態で人を決めつけるな、と梓にも何度か言ってきた。

「うん。でも、謝ったのもあの子だけだった」

新郎は、床を拭く給仕の肩を足先で避けながら、「こういう店を選んだのは君だ」と梓に笑った。その笑い方を見た瞬間、梓は会場を出たという。

杏樹には、それだけで結婚をやめる感覚はまだわからなかった。人は最悪の日に最悪の態度を取る。話せば済む可能性もある。けれど、梓を会場へ押し戻す前に、床の赤い染みを見た。給仕の手は震え、割れたグラスを拾おうとしていた。

「触らないで。破片、細かいから」

杏樹は箒を取り、梓にはちりとりを渡した。白いドレスのままでは危ないので、厨房用の長いエプロンを結ぶ。二人は無言で、冷蔵庫の下まで転がったガラスを集めた。会場係が「新婦様、お時間です」と呼びに来ても、杏樹は「床が先です」と答えた。

片づけが終わると、梓は持ったままだったブーケを見下ろした。白いダリアが厨房の熱で少しうつむいている。

杏樹はウォークイン冷蔵庫を開け、空いていた棚を一段つくった。梓が花束を置き、杏樹が倒れないようボウルで支えた。

「式をやめても、花は悪くないから」

それだけ言って扉を閉める。

梓は新郎と話すために戻ると言った。逃げたまま終わらせたくはないらしい。杏樹は賛成とも反対とも言わず、エプロンの紐をほどき、梓のドレスの裾を持った。

二人で厨房を出る前、給仕の女性が頭を下げた。梓は首を振り、杏樹と一緒に床をもう一度見回した。

ガラスが一片もないことを確かめてから、二人は同じ扉を押した。