苦い借金
瀬良垣弦司の食事は、兄の借金を相続した日から苦くなった。返済支援制度に登録すると、滞納者の味覚へ警告信号が送られる。甘い物は焦げた薬に、米は古い紙に変わり、完済するまで「贅沢による逃避」を防ぐ仕組みだった。
弦司は自動車整備工として働きながら、小学生の娘を育てていた。娘の作る卵焼きにも強い苦味があり、笑って飲み込むたび吐き気がした。娘は味付けを失敗したと思い、砂糖を増やした。弦司は本当のことを言えなかった。父親の借金で、娘の料理まで罰に変わったとは。
早く完済するため、夜間の危険作業を引き受けた。空腹を感じても食べれば苦いので、水だけで働いた。三か月目、車体の下で意識を失った。目を覚ますと、娘が病室でせんべいを割り、「味じゃなくて音を食べよう」と言った。ぱり、ぱり、と二人で噛んだ。弦司には苦かったが、その音だけは取り立てられなかった。
弁護士は自己破産を勧めた。制度上は可能だが、味覚制裁の履歴が信用評価へ十年残る。弦司は、借りた覚えのない金のために、娘の進学まで不利にするのかと迷った。兄の写真へ怒鳴り、亡くなった人を憎む自分にも疲れた。
制裁は家庭にも染み出していた。娘は友達を食事へ呼ばなくなり、給食の感想も父の前では言わなかった。遠足のお菓子を半分残して持ち帰り、弦司が食べられないなら自分も楽しんではいけないと思っていた。弦司は、自分一人の舌を罰する制度が、娘の喜びまで担保に取っていたことにようやく気づいた。
娘が、砂糖だらけの卵焼きを捨てようとしていた。弦司は止め、借金と味のことを全部話した。娘は泣かず、「じゃあ、お父さんの舌が悪いんじゃないんだ」と言った。その言葉で、弦司は初めて破産申請へ署名した。
制裁は解除されたが、半年ほど苦味は残った。脳が罰を覚えていたのだ。弦司は娘と少しずつ味を確かめた。塩、出汁、焦げ、甘さ。
ある朝、卵焼きがほんの少し甘かった。弦司は大げさに褒めなかった。ただ、もう一切れ取った。娘はそれを見て、ようやく自分の料理を口にした。