蜜蝋の首輪
サルネア港の交換卓には、鍵が一つしか置かれていなかった。
ニコラオ・デルマは、敵の捕虜となった造船頭ミレナを見た。青銅の首輪を嵌められ、継ぎ目を黄色い蜜蝋で封じられている。こちらが返すのは、敵総督の息子カシアンだった。同じ首輪、同じ蝋印だった。
取り決めは単純だ。二人を卓の前へ進ませ、鍵で首輪を一つずつ外す。鍵が両方へ合えば交換成立。港の鎖を下ろし、敵船を一艘だけ入れる。
ニコラオはミレナの首輪に触れた。
蜜蝋が温かい。
夜風は冷たく、海霧で髪まで濡れている。首輪の蝋だけが、指へ柔らかく沈んだ。
「手を離せ」と敵使が言った。
ニコラオは蝋の表面を爪で削った。内側から黒い針先が現れる。首輪を鍵で開けば、ばねが弾け、針が頸へ刺さる仕掛けだった。
ミレナは交換後、味方の腕の中で死ぬ。敵は港へ入る前に責任をこちらへ押しつけ、停戦を破る口実を得る。
敵使は顔色を変えなかった。
「古い留め釘だ」
「なら総督の子にも同じ物を使え」
ニコラオはカシアンの首輪へ手を伸ばした。こちらの蜜蝋は冷え、硬い。針はない。
剣が半ば抜かれた。港壁の弩兵も弦を引く。ミレナは動かなかった。喉へ針が触れていると分かったのだろう。
ニコラオは卓の鍵を取り、カシアンの首輪へ差した。
「先に息子を外す約束ではない」と敵使が言う。
「順は決めていない」
鍵を回すと、首輪は乾いた音で開いた。ニコラオはそれを卓へ置き、ミレナの首輪を指した。
「同じ鍵で外す。針が動けば、総督の息子へこの首輪を戻す」
カシアンが初めて父の使者を見た。その目に恐れが出た。敵使は息子を見捨てる権限を持たない。ニコラオはそこだけに賭けた。
長い沈黙のあと、敵使が二本目の鍵を袖から出した。
「安全留めを外す鍵だ」
「鍵が一つという条件だった」
「条件を変える」
「変わったのは、おまえたちが嘘を認めたことだけだ」
ニコラオは二本目の鍵を受け取り、首輪の裏穴へ差した。小さなばねが緩む。次に卓の鍵を回すと、針は動かず、青銅がミレナの肩へ落ちた。
二人の人質がすれ違う。ミレナはニコラオの横へ来ても礼を言わず、首の血を指で拭った。硬い女だった。だから造船頭を任されていた。
敵船の帆が霧の外で待っている。
ニコラオは毒針の首輪を海へ投げた。
「港鎖を下ろせ」
鉄の鎖が軋み、黒い水面へ沈み始めた。