表札には絵を四つ
再婚して一緒に暮らし始めても、四人の名字はすぐには一つにならなかった。
父と息子。
母と娘。
玄関の表札へどの名字を書くかで、大人たちは毎晩話し合った。
「二つ並べればいい」
「片方が居候みたいに見える」
「子どもたちだけ違う名字なのも説明が必要だ」
「説明しなきゃいけない家族は変なの?」
娘が言うと、会議は止まった。
翌朝、古い表札が外れていた。
宅配便の人は迷い、近所の人は「どちらのお宅?」と尋ねた。息子はそのたびに答えた。
「四人の家です」
「名字は?」
「いっぱいあります」
ある休日、四人で木の板を買った。
父はコーヒーカップを描いた。朝は必ず二杯飲む。
母は糸巻き。破れた服を見ると、頼まれなくても縫う。
息子はサッカーボール。
娘は三日月。
絵を横一列に並べ、下へ〈ただいまを言う家〉と書いた。
「表札として役に立つ?」
父が心配した。
「配達の人には部屋番号がある」
「親戚には地図を送ればいい」
「名字を聞かれたら?」
「必要な名字を答える」
母が笑った。
新しい家では、揃わないことがたくさんあった。休日も、好物も、亡くなった親や離れて暮らす親への気持ちも違う。
無理に一つへ揃えようとすると、誰かの過去が消えるようだった。
冬の朝、娘が熱を出した。父は会社を休み、慣れない手つきでおかゆを作った。
「どうして休んだの」
「家族が病気だから」
「名字、違うのに」
「表札を見ろ」
玄関には、湯気で少し反った板が掛かっている。
春、息子の実母が訪ねてきた。玄関の絵を見て、「いい家ね」と言った。息子は黙っていたが、夜になって表札へ小さな鳥を描き足した。
「これは?」
「向こうのお母さん。ここには住まないけど、僕の家族だから」
誰も消せとは言わなかった。
数年後、板には祖父母の花、離れて暮らす父の眼鏡、新しく生まれた赤ん坊の小さな星が増えた。
名字を一つ書くはずだった表札は、だんだん絵でいっぱいになった。
家族は同じ名前の人たちではなく、互いの帰る場所を消さない人たちなのだと、その板が教えていた。