被告人の予備番号

鴫野昂平が目覚めたとき、手首には「被告人・予備二号」と印字されていた。

記憶は三日前で途切れている。自分が妻を刺した夜の直前だった。

元の昂平は逮捕後、留置場で死亡した。だが富裕層向け生命保険によって予備肉体が起動し、脳内バックアップが移された。検察AIは、記憶と人格が連続している以上、殺人罪も継承されると判断した。

弁護士は無罪を主張した。

「あなたは事件を経験していない。法的には複製物です」

昂平には納得できなかった。妻を憎んだ記憶はある。離婚を切り出され、通帳を隠し、彼女の交友を監視した。包丁を買ったことも覚えている。刺した瞬間だけがない。

裁判で、義妹が証言した。

「姉は、予備があるからあの人は死を怖がらない、と言っていました」

昂平は初めて、自分が妻に与えていた恐怖を想像した。死んでも戻れると思った男と、殺されたら戻れない女。その差を、彼は保険料の差としか考えていなかった。

判決は懲役十八年。ただし、犯罪者の複製に刑罰を継承できるかは最高裁へ持ち越された。

控訴すれば釈放される可能性が高かった。弁護士は喜んだ。

その夜、昂平は事件前の自分が残した日記を読んだ。そこには妻の行動を「矯正する」と何度も書かれていた。殺人の記憶がなくても、彼女を人ではなく所有物として見ていた証拠は十分だった。

昂平は控訴を取り下げた。

「私は刺していない。でも、刺す男をここまで育てたのは私です」

刑務所で、彼は暴力防止講座の記録係になった。受刑者の言い訳を一字も変えず入力し、被害者の言葉も同じ欄に残した。数年後、妻の母から一通だけ手紙が届いた。

あなたを娘の夫とは思いません。けれど、娘を殺した男と違う人生を選び続けるなら、その違いだけは認めます。

出所の日、昂平は予備肉体の更新契約を解約した。

新しい体は三十九歳だったが、記録上の年齢は六十一歳。鏡の顔にはしわがない。

それでも彼は、失った十八年を隠さなかった。

生まれ直したのではない。やり直す責任だけを与えられたのだと、ようやく理解していた。