赤いランプが消えるまで

冴木理世の机には、赤いプラスチック片がある。高校の放送室で使われていた「ON AIR」の表示灯だ。校舎改修の際にもらったもので、裏には両面テープの跡が残っている。

会社の退職届を画面に開いた夜、理世はその赤を指でなぞった。昼間の会議では、提案を横から言い直されても笑って頷いた。帰宅後、喉の奥にだけ言えなかった文章が残っていた。

最後の部活動は、卒業式後の校内放送だった。

《三年生の皆さん、下校時刻です》

誰もいないはずの教室へ、理世の声が流れた。窓の外では、制服姿が校門で写真を撮り続けていた。放送部の仲間も先に出ており、狭いブースには理世一人だった。

原稿はあと二行。

《忘れ物のないよう、確認してください》

そこで読むものは終わった。それでも赤いランプは点いたままだった。電源を切れば、高校生活が本当に終わる。理世はマイクの前で息を吸い、原稿にない言葉を探した。

好きだった人への告白でも、後輩への訓示でもない。口から出たのは、ひどく頼りない一文だった。

《今日まで、聞いてくれてありがとうございました》

校内のどこかで誰かが聞いていたかは、わからない。返事はなかった。理世は自分の声がスピーカーから少し遅れて戻るのを聞いた。知らない人の声のようで、けれど確かに自分のものだった。

スイッチを下げる。表示灯が消える直前、赤は一度だけ強く光った。放送室の時計の秒針が聞こえ、廊下の向こうで最後の靴箱が閉まる音がした。理世はマイクの金属に触れ、まだ温かいことを確かめてから席を立った。

現在の理世は、退職届の宛先を確かめた。放送部を辞めたあと、声を使わない仕事を選び、会議でも相槌ばかり上手になった。辞める理由を誰にも説明しきれず、送信ボタンの前で三日止まっている。

机の表示灯をパソコンの上へ立てかける。赤い板越しに、画面の白がにじんだ。

理世は退職届を送った。それから、以前録音して途中で消した音声配信のアプリを開く。

録音ボタンを押すと、小さな赤い点が灯った。

「こんばんは」

今度は、消えるまで黙らなかった。