軍手は返却できません

「二週間だけだからね」

猪狩澄枝は、玄関に座る茶色い犬へ宣告した。

犬は返事の代わりに、彼女の右足から靴下を脱がせた。

保護施設で「軍手」と呼ばれていたその犬を連れてきたのは、娘の菱花だった。父が亡くなって半年、母が買い物にも出ず、テレビと会話するようになったからだ。

「犬なら散歩が必要でしょ」

「私も必要ないのに」

「お母さんは靴下を盗まないから、まだ緊急性が低い」

軍手は初日に座布団を掘り、二日目に仏壇の鈴を鳴らし、三日目には配達員から荷物を受け取ろうとして印鑑をくわえた。

そして、手袋の左側だけを盗んだ。

台所用のゴム手袋、毛糸の手袋、菱花が忘れた革手袋。軍手は左だけを集め、ソファの下へ隠した。澄枝は怒りながら床へ這いつくばり、気づけば久しぶりに声を上げて笑っていた。

七日目、軍手は仏壇の脇に置いてあった古い作業用手袋をくわえた。

それは夫が庭仕事に使っていたものだった。土の染みも、親指の縫い跡も残っている。

「それは駄目!」

澄枝が追うと、軍手は勝手口から庭へ逃げた。枯れた芝生を横切り、梅の木の下で止まる。そこは夫が春に縁台を作ると言って、結局、柱一本だけ立てた場所だった。

犬は手袋を柱のそばへ置き、澄枝を見上げた。

半年ぶりに庭へ出た彼女は、荒れた花壇を見た。水仙の芽がいくつも土を割っていた。夫が最後に植えた球根だった。

「あなた、ちゃんと仕事してたのね」

誰に言ったのか自分でもわからなかった。しゃがむと、軍手が膝へ顎を載せた。作業用手袋には、もう夫の匂いはほとんど残っていなかった。それでも土の匂いは、春の匂いに続いていた。

二週間目の朝、施設の車が迎えに来た。

「ずいぶん元気になりましたね」と職員が言った。「では、軍手を」

澄枝は犬を背中へ隠した。

「返せません」

「え?」

「この子、まだ盗品を全部返していないんです」

ソファの下からは、左手袋が十一枚出てきた。軍手は悪びれず、その山の上に座った。

菱花が笑う。

「じゃあ正式譲渡の書類、書く?」

澄枝は夫の作業用手袋の右側を片手にはめ、ペンを握った。

「仕方ないわね。片方だけじゃ、冬を越せないもの」

その晩、軍手は初めて何も盗まなかった。

代わりに澄枝の布団へ潜り込み、冷えていた左手を、腹の下で朝まで温めた。