転移術師を朝まで留める杭

「縛ってくれ」

宿《根の家》の受付で、転移術師オルディスは縄を差し出した。

宿主ミレヤは受け取らなかった。

「うちは拘束宿ではありません」

「眠ると飛ぶんだ。昨夜は鐘楼、一昨日は王城の厨房。次に牢へ飛べば、説明する前に首が落ちる」

彼の転移魔法は、目覚めている間なら百発百中だった。ところが古代門の暴走を止めて以来、眠りに落ちるたび、身体が「安全そうな場所」を勝手に探す。野宿では崖の上、宿では他人の部屋。誰も泊めてくれなくなった。

ミレヤは一階の奥を開けた。

部屋の中央に、黒鉄の寝台が一つある。四本脚ではなく、中央の太い杭一本で床を貫き、地中深くへ沈んでいた。

「商品は《朝までここにいる一泊》です。行き先を決める魔法ではなく、出発しないための寝台」

「俺の術は城壁を越える」

「この杭は城壁より先に、この土地になりました」

料金は前払いで銀貨二枚。オルディスはさらに縄を寝台へ巻き、自分の腰にも結んだ。

夜半、部屋の空気が青く裂けた。窓の外に砂漠、海底、王宮の天井が一瞬ずつ現れる。だが寝台は動かない。縄だけが次々と切れ、最後に転移光そのものが杭へ吸い込まれた。

オルディスは、どこにも落ちなかった。

床へ描いた確認用の白墨円も、夜の初めと同じ位置に残っていた。枕の横へ置いた銅貨も一枚たりともずれていない。世界のほうが何度逃げ道を開いても、彼の一夜だけはこの部屋に結ばれていた。

朝、目を開けた彼は天井を見て、次に窓を見て、最後に自分の手を見た。

「ここだ」

その二文字を三度繰り返し、裸足のまま床へ降りる。杭に額を当てる姿を、ミレヤは笑わず待った。

彼は青い転移晶を受付に置いた。銀貨なら二十泊分になる品だ。

「十泊予約する。残りは、この寝台を疑った詫びだ」

「詫びは不要です」

「なら、次に飛びそうな奴の宿代にしてくれ」

オルディスが自分の足で通りへ出る。扉が閉まり、黒鉄の杭が満足そうに一度だけ鳴った。

続いて入口のベルが鳴り、ミレヤは新しい宿帳を開いた。