辛口はあとから
夕食のカレーは、仁那の分だけ兎の絵の皿に盛られていた。
「懐かしいでしょう」
母が笑う。人参は星形で、ルーは子ども用の甘口だった。父と母の皿からは、黒胡椒と生姜の匂いがする。
「私もそっちがいい」
仁那が父の鍋を指すと、母は首を振った。
「あなた、辛いの駄目じゃない。無理しなくていいのよ」
二年ぶりの帰省だった。駅から家までの間にも、母は寒くないか、靴は痛くないか、会社でちゃんと挨拶できているかと尋ねた。答えるたびに、次の心配が用意されていた。
父が福神漬けを取りながら言う。
「仁那は刺激に弱いからな。仕事も、もっと楽なところに替えたらどうだ」
「今日は仕事の話をしない」
「心配してるんだぞ」
「心配されると、答えなきゃいけなくなるから」
母は困った顔で兎の耳にこぼれたルーを拭いた。「せっかく帰ってきたのに、そんなぴりぴりしないで」
仁那は台所へ行き、棚から一味唐辛子を取った。母が「それはお蕎麦用」と言う。
「唐辛子は、誰の許可がなくてもカレーにかけられるよ」
赤い粉を一振りした。まだ甘い。二振り目で母が息をのみ、三振り目で父が笑った。
「意地になってるだけだろ」
「そうかもしれない。意地も私の味だから」
口に入れると、最初は砂糖の甘さが来て、そのあと舌の奥が熱くなった。目が少し潤んだが、水には手を伸ばさなかった。
母は黙って、自分たちの鍋から小さなじゃがいもを一つ、仁那の皿へ移した。
「次から、鍋は分けないわよ」
謝罪ではなかった。仁那も礼を言わなかった。
「次があるなら、辛口で。仕事の質問は一つまで」
母は返事の代わりに、一味の瓶を仁那の手の届くところへ置いた。
父は仁那の前へ水差しを置きかけたが、手を引っ込め、自分の皿へ向き直った。母は星形の人参を箸で持ち上げ、『次は普通に切ってもいい?』と聞く。仁那は『形も辛さも、先に聞いて』と答えた。母は星を自分の皿へ移し、初めて確認するように頷いた。
兎の絵はルーに隠れた。仁那は四振り目を、自分で決めた。