返却された頁

図書館の返却台に、白い手袋が一組置かれていた。

本を棚へ戻すときに着けると、その本が最後の読者から受け取った一言だけを話すという。

司書は半信半疑で、料理本を持った。

「塩を減らしても、父は気づかなかった」

次は旅行記。

「ここへ行く約束は、もう守れない」

本は内容ではなく、読者が頁の間へ置いていった言葉を残していた。

閉館前、同じ小説が三度目の返却期限切れで戻ってきた。

借りていたのは、毎週亡き妻の本を探しに来る男性だった。

妻はその小説を最後まで読めずに亡くなり、男性は続きが気になって借りたという。

だが読むたび途中で閉じ、延滞した。

手袋で本を持つ。

「終わりまで読んだら、あの人が先へ行く気がする」

男性の声だった。

司書は返却処理をやめ、本を取り置きにした。

翌週、男性へ話すと、気まずそうに笑った。

「機械みたいな手袋にまで言った覚えはない」

「本には言ったのでしょう」

男性は本をもう一度借りた。

今度は図書館の窓際で読むことにした。

一日一頁。

司書は声をかけず、閉館時刻だけ伝えた。

最終章の前日、男性は本を閉じた。

「明日は来ないかもしれない」

「延長できます」

「そういう意味じゃない」

最後の頁を読むと、妻が本当にいなくなる気がすると言った。

司書は手袋を外した。

「読み終えても、あなたが読んだ時間は本から消えません」

「本に聞いた?」

「いいえ。今、私が言いました」

翌日、男性は来た。

最後まで読み、しばらく机へ伏せた。

泣かなかった。

本を返却台へ置く。

司書が手袋で持つと、本が言った。

「終わった。寂しい。少し安心した」

それが男性の言葉か、妻の言葉か、本自身の感想かは分からなかった。

男性は別の本を借りた。

妻が読まなかった、まったく新しい小説だった。

白い手袋はその後も使われた。

返したくない本。

途中で止めた本。

何度も同じ頁を読む本。

司書は、言葉を聞いても必ず相手へ伝えるわけではない。

本にだけ預けたい気持ちもあるからだ。

図書館は、読み終える場所ではない。

途中のままでも置いておけて、また続きを選べる場所だった。