返却台の薄い本
市立図書館で働く佳澄は、返却台に自分の本を見つけた。
紺色の表紙に銀の箔。三年前、「透野」という名で出した短編集だった。二百部しか刷らず、通販も終わっている。図書館の蔵書ではないから、利用者が私物を紛れ込ませたのだろう。
佳澄は急いで本を裏返した。だが隣にいた先輩司書が、背表紙を読んでいた。
「『空室に降る雨』。寄贈希望の付箋がありますね」
表紙には「地域で活動する作家の本です」と鉛筆で書かれていた。
佳澄の胸が狭くなる。採用面接では、趣味は読書とだけ答えた。同人誌という言葉を出せば、図書館員なのに二次創作か、遊びで本を作るのかと聞かれる気がした。これはすべてオリジナル作品なのに、自分から小さく扱ってきた。
「規格外なので、返却処理ではなく忘れ物にします」
本を引こうとすると、先輩が付箋を指で押さえた。
「寄贈の審査に回せます。奥付に市内の印刷所、著者紹介にも市内在住とある」
「でも、自費出版です」
「出版方法は選定基準ではありません」
先輩はページをめくり、貸出資料を見るのと同じ慎重さで紙の状態を確かめた。
「著者本人の承諾が必要です。連絡先を調べましょう」
佳澄は黙った。透野の連絡先は私書箱しか載せていない。ここで何も言わなければ、手続きは止まる。それは安全で、いつも通りだった。
返却カウンターの向こうでは、利用者が次々と本を置いていく。誰かの手から離れ、別の誰かへ渡るための本。
「私です」
声は思ったより小さかった。
先輩が顔を上げる。
「透野は、私です。これを書きました」
数秒の沈黙のあと、先輩は驚くでも笑うでもなく、寄贈申込書を一枚差し出した。
「では、著者寄贈としてお願いします」
書類には本名と著者名、両方の欄があった。佳澄は本名を書き、その下の「著者名」に透野と記す。
審査を通るかはまだ分からない。それでも、受付印が乾くまでの間、自分の本を裏返さずに机の上へ置いておいた。
紺色の表紙に、図書館の窓から午後の光が細く差していた。