返却期限は卒業まで
柊木央が国語教師から借りた本には、返却期限の印がなかった。
授業で紹介された古い長編小説を、央だけが最後まで教壇の上で眺めていた。教師はそれに気づき、職員室の本棚から私物の一冊を持ってきた。
「図書室にはない版だ。貸す」
「いつまでですか」
「読み終わるまで」
厚さを見て、央は春休みまでかかると思った。
ところが二週間後、その教師が年度末で学校を辞めると発表された。
教室はざわついた。誰かが理由を訊き、教師は「家の都合」とだけ答えた。
央は放課後、まだ半分しか読んでいない本を抱えて職員室へ行った。
「返します」
「途中だろ」
「先生、いなくなるから」
「本は逃げない」
「でも返せなくなる」
教師は表紙を開き、見返しに鉛筆で日付を書いた。
『三年後 三月一日』
央の卒業式の日だった。
「それまでに読め」
「どこへ返すんですか」
「その頁に住所を書くほど信用してない」
「じゃあ無理です」
「卒業までに、自分で探すくらい成長しろ」
冗談のような約束だった。
央は本を持ち帰り、最後まで読んだ。主人公が旅の終わりに故郷を見失う話だった。分からないところへ付箋を貼り、感想を書きかけ、何度も読み返した。
教師が辞めたあと、学校の誰も連絡先を知らなかった。
三年生の卒業式。央は制服の鞄へ本を入れて登校した。
式が終わり、教室で最後のホームルームをしていると、廊下の窓際に見覚えのある背中があった。
教師は来賓でも保護者でもなく、古いコートを着て立っていた。
央は本を差し出した。
「遅延ゼロです」
「読んだか」
「三回」
「分かったか」
「分からないところが増えました」
教師は嬉しそうに頁をめくった。央の付箋と鉛筆の跡を見て、返そうとする。
「これはもう、お前の本だ」
「借り物です」
「三年持っていたら、半分は持ち主だ」
央は受け取らなかった。
代わりに、鞄から自分が買った別の一冊を出した。
「これ、貸します」
「返却期限は?」
「僕が先生になるまで」
教師は初めて言葉を失った。
卒業式で央が覚えているのは、校歌でも答辞でもない。職員室を去った人と、廊下で本を一冊ずつ交換した、短い放課後だった。