透明騎士の黒カレー

路地裏食堂《煤猫》の名物は、店主バシュが作る真っ黒なカレーだった。竹炭茸と夜豆を煮込むため、皿の上は月のない夜の色になる。

ところが開店から一週間、色を見た客は口に入れる前に帰った。「鍋底の煤を出す店」と落書きまでされ、今夜も売上はゼロ。バシュが看板の文字を塗り直していると、扉だけが開き、誰もいない床に泥の足跡が続いた。

「驚かないでくれ」

空中から若い男の声がした。透明化の呪いを受けた従騎士ルメルだった。椅子がひとりでに沈み、卓に置いた紙へペンが走る。

明朝の叙任式までに本人だと証明できなければ、十年仕えた騎士団から除籍される。解呪師は戦地で、服も印章も身につけた途端に透ける。指紋を押しても紙の上で消え、声だけでは替え玉を疑われたという。

「顔が見えれば、頬の傷で団長に分かってもらえるのに」

バシュは慰める代わりに黒カレーを一皿置いた。

「まず腹を満たせ。見えない客からも代金は取る」

「食事どころでは――」

「顔を出す料理だ」

匙が宙に浮き、黒い一口が消える。香ばしい油の匂いと、夜豆の甘み。二口目を飲み込んだとき、何もない空間に黒い線が一本走った。

それは喉だった。

三口、四口。竹炭茸の微粒子を含んだ湯気が、呪いの内側から輪郭へまとわりつく。頬、鼻、眉、髪。透明な体そのものは戻らないが、全身が淡い煤色の像として浮かび上がった。左頬には、斜めに走る古傷までくっきり見える。

壁の鏡を見たルメルが息をのむ。そこには確かに、泣きそうな青年の顔があった。黒い料理を怖がるどころか、彼は夢中で匙を動かす。

「どれくらい保つ?」

「食べた量なら、鐘が三度鳴るまで。油を拭き取っても輪郭は残る」

叙任式には十分だった。

ルメルは最後の一滴をパンで拭いた――のではなく、皿を傾けて飲み干した。商品は黒カレー一つ。それだけで、消えていた十年が姿を得た。

腰の見えない袋から、騎士候補の銀札が置かれる。扉へ走りかけた煤色の影は、振り返って笑った。

「正式な騎士になったら、白い外套で来る。今度はこの顔で、うまいと言う」

翌朝、開店前の《煤猫》に、規則正しく三度ノックがあった。バシュが扉へ向かうと、隙間から白い布の端と、黒カレーの大鍋を載せる台車の影が見えていた。