遺失物第四十七号

【受理日時】

 六月十七日、午後九時四十分。

【拾得場所】

 河川敷歩道から音楽大学前交番までの間。

【物件】

 楽譜三十一枚。

 雨水による濡れ、泥汚れ、破れあり。

【拾得時の状態】

 ページ順に並べられ、新聞紙を挟んで乾燥済み。

 破損箇所は薄い和紙で補修。

 二十六ページ目の一小節のみ欠落。

【拾得者】

 氏名告知を希望せず。

 謝礼辞退。

 交番から電話が来たのは、コンクールの二日前だった。

 私は橋の上で鞄を落とし、風にさらわれた楽譜を追いきれず、出場を諦めていた。作曲科へ移って初めて書いた曲で、清書前の譜面はそれしかなかった。

 戻ってきた紙は波打っていたが、一枚ずつ角がそろえられていた。鉛筆の線が消えないよう、裏から丁寧に補強されている。

 二十六ページには、見知らぬ字の付箋があった。

〈ここだけ見つかりませんでした。音楽が分からないので、勝手に埋めないでおきます〉

 欠けたのは、曲が最も高く盛り上がる直前の一小節だった。

 私は何度も書き直そうとした。けれど、どんな音を置いても、知らない人が残した白さを汚すように感じた。

 本番では、その一小節を休符にした。

 演奏者たちは弓を止め、客席も息を止めた。雨に濡れた紙のような静けさのあと、最後の旋律が始まった。

 結果は二位だった。

 悔しくはなかった。賞状よりも、あの白い一小節が最後まで残ったことのほうが、私には大切だった。

 審査員は「あの沈黙が、曲を帰ってこさせた」と評した。

 私は交番へ花を持って行ったが、拾得者のことは何も教えてもらえなかった。年齢も性別も、河川敷を歩いていた理由も分からない。

 翌年、その曲は小さな演奏会で再演された。

 プログラムの題名の下へ、私はこう記した。

〈第二十六ページの一小節は、楽譜を拾ってくださった方の作品です〉

 客席のどこかにいるかもしれないと思い、休符のあいだ、目を閉じた。

 拍手が始まっても、名乗る人はいなかった。

 それでよかった。

 音楽には、誰のものとも書かれていない静けさがある。

 その一小節を通るたび、私は今も、雨の夜に三十一枚の紙を拾う手を思う。