金貨では開かない港門
海港リュドでは、金貨を積んでも倉庫の扉は開かなかった。
大商会〈赤鯨〉の会頭バルゼンは、係官へ革袋を投げる。
「胡椒船三隻分だ。好きなだけ取れ」
係官は金貨を数えもせず返した。
「現金の問題ではありません。信用状が昨日で失効しています」
遠洋取引では、港の銀行が支払いを保証した信用状がなければ荷を下ろせない。胡椒は高額で、盗品や二重売買も多いからだ。
昨日まで経理担当だったオードは、船の到着が遅れるたび、満期を延長して銀行の印を取り直していた。会頭はそれを「紙へ印を増やすだけ」と笑い、航海に同行できない者は不要だと解雇した。
船倉の胡椒は湿気を吸い始めている。延長申請には本店の印章が必要だが、本店までは馬で五日。バルゼンが賄賂を上乗せすると、係官は監査兵を呼んだ。
「保証のない荷を動かせば、密輸として船ごと差し押さえます」
その日から一刻ごとに、港の滞船料が加算された。船倉の除湿魔石も期限切れで、胡椒の香りには酸っぱい湿気が混じり始める。船長たちは、荷が腐れば航海報酬を誰が払うのかと、会頭の前へ契約書を並べた。
バルゼンは本店へ鳥便を飛ばしたが、印章の原本でなければ銀行は認めない。五日後には、胡椒の半分が商品価値を失う計算だった。
隣の桟橋では、新興商会〈白帆〉の荷が次々と降ろされていた。書類を確認するのはオードだった。嵐による遅延を見越し、信用状へ十日の猶予条項を入れてある。
銀行頭取は彼の肩を叩いた。
「三隻の遅れを損失ゼロで収めた。来月から全航路の財務を任せたい」
〈白帆〉の船長たちは、荷下ろしが終わる前に次航海の契約へ署名した。期限を守る商会なら家族への送金も遅れないと知ったからだ。オードの書類は、荷物だけでなく船乗りの暮らしまで港へ着けていた。
その場へ、汗だくの〈赤鯨〉の番頭が駆けてきた。
「会頭が過去を水に流すと仰せです。給金も三倍にします。印章の場所はご存じでしょう、戻ってください」
オードは失効日の欄へ指を置き、静かに帳面を閉じた。
「私の信用も、昨日失効しました。御商会との契約は更新いたしません」