金魚袋の月
新居の窓辺に金魚鉢を置いたとき、麦は水面に丸い月が映るのを見た。
その揺れ方が、十七歳の夏祭りで持っていたビニール袋によく似ていた。
両親が離婚すると告げたのは、祭りへ出かける一時間前だった。どちらと暮らすか、今月中に決めてほしい。父も母も声を荒らげなかったからこそ、麦には逃げ道がなかった。
浴衣のまま家を飛び出し、幼なじみの一花と神社へ向かった。
金魚すくいで、麦は一匹も取れなかった。店主が慰めに一匹くれたが、赤い金魚は袋の狭さに何度も身を翻した。
「かわいそう」
麦がつぶやくと、一花は焼きりんご飴をかじりながら言った。
「袋は持って帰るまでの仮の場所だよ。朝までこのままにする人はいないでしょ」
麦は金魚を見つめた。父の家か、母の家か。二つの名前が、袋の左右を引っ張っているようだった。
「どっちの水でも、息できない気がする」
初めて口にすると、涙より先に息が漏れた。
一花は驚かなかった。
「じゃあ、どっちかを選ばされる前に言いなよ。選べないって。大人が困るのは、大人の仕事」
花火が上がる。袋の水に赤、緑、金が落ち、金魚はそのたび別の色になった。麦は、家族が形を変えることを、自分の失敗のように思っていた。けれど金魚は色が変わっても金魚だった。
帰宅すると、父と母はまだ同じ食卓に座っていた。麦は金魚袋を真ん中に置いた。
「私に選ばせないで。しばらく叔母さんの家から学校に通いたい。二人ともに会う」
声は震えたが、言い直さなかった。
あの一匹は長く生きた。大学進学の日まで、一花が譲ってくれた大きな鉢で泳いだ。
二十六歳の今、麦は初めて一人で借りた部屋に、新しい金魚を迎えた。父も母も、それぞれ別の暮らしから小さな引っ越し祝いを送ってきた。一花は「大人の仕事、ちゃんと自分で選んだね」と笑った。
水面の月が揺れる。麦は窓を開け、まだ箱だらけの部屋へ夜風を入れた。
ここも永遠の場所ではないかもしれない。それでも今夜は、誰かに選ばされた袋ではなく、自分で選んだ水の中にいる。