針鼠と深夜カルボナーラ

 鋤柄凪乃の部屋では、午前零時を過ぎても液晶タブレットだけが明るかった。

 描き直しは七回目。編集者からは「もっと自然な笑顔で」と言われている。自然な笑顔ほど、描こうとすると不自然になる。

 机の横の飼育ケースでは、針鼠のまつりが回し車を走っていた。止まっては走り、走っては水を飲む。締切という概念がない生き物の背中は、ひどく自由に見えた。

 凪乃はペンを置き、台所へ行った。棚からカップ麺のカルボナーラ味を出す。これだけでも十分に背徳的だが、今夜は卵黄と粉チーズ、それに小さなバターまで用意した。

「明日の私、ごめん」

 ケースの中で、まつりが回転数を上げる。

「運動して帳消しにしろって?」

 湯を注いで三分。蓋を開けると、クリームと胡椒の匂いが立った。湯切りをし、ソースを混ぜ、卵黄を落とす。バターが麺の熱で消えていき、粉チーズが白い雪のように絡んだ。

 フォークで巻くと、麺は重たく艶を帯びた。ひと口目は濃すぎて、思わず目を閉じる。塩気、乳脂肪、黒胡椒。その全部が、今日の「もっと」を強制的に黙らせた。

 凪乃は画面の笑顔を眺めた。口角の角度、瞼の線、頬の影。直すほど、人物が疲れて見える。

 まつりが回し車から降り、餌皿の前で鼻を鳴らした。凪乃が乾燥ミルワームを一匹置くと、針鼠は迷わず食べた。ご褒美を受け取るのに、成果の説明を求めない。

「私も、七回描いたんだよね」

 誰も褒めなかった回数を、自分で数え直す。

 食べ終えた凪乃は、絵の人物の口元を少し戻した。完璧な笑顔ではなく、疲れたあとに誰かから温かいものを渡されたような、ほどけかけの顔になった。

 保存して送信する。返事は明日でいい。

 照明を落とすと、まつりも巣箱へ入った。部屋にはチーズと胡椒の濃い香りが残っている。凪乃は胃の重さまで毛布のように抱え、今夜だけは描き直されない自分のまま眠った。

 胃は少し重かったが、それも七回分の労力へ置いた文鎮のようで悪くない。凪乃は水を一口飲み、ケースの毛布を直した。暗がりには、クリームの甘い匂いと小さな寝息だけが残った。