銀の食器に浮かぶ黒い紋
イルマリエが公爵家を勘当された翌晩、長兄クレヴァンの婚約披露宴が開かれた。
一皿目のスープへ銀匙を入れた瞬間、クレヴァンの手首に黒い蔓模様が浮かんだ。
続いて父、公爵夫人、叔父。血縁者だけの皮膚を黒い紋が這い、心臓へ向かって伸びていく。客たちは椅子を倒し、祝いの広間から逃げた。
「毒見役を捕らえろ!」
毒見役には何も起きていない。料理にも毒はなかった。老執事が震える手で、銀食器庫の奥から家祖の記録を出した。
この家の銀は、戦争で滅ぼした一族の祭具を溶かして作られている。血筋を憎む呪いが宿るため、代々の聖女が宴の前に一枚ずつ清める――そう記されていた。
最後の聖女はイルマリエだった。
家族は彼女が食器庫へ籠もる姿を、宴から逃げているのだと思っていた。「祈るだけで家名に寄生する妹」と呼び、婚約披露の前日に籍を抜いた。いつも無傷だった食卓こそ、彼女が毎回呪いを引き受けていた証拠だった。
代わりの神官が大広間ごと浄化したが、紋は薄くならない。呪いは銀一枚ごとに異なり、百八十七枚を順番に清めなければならなかった。宴は中止され、婚約家はその夜のうちに縁談を保留した。
使用人たちは銀を木箱へ投げ込んだが、触れた順に腕へ薄い紋が移った。客の衣服や馬車まで清める必要が生じ、披露宴の祝い金より損害賠償の請求が大きくなる。公爵は食堂を封鎖したものの、家名入りの銀皿がある限り、次の宴も開けなかった。
イルマリエは町の鍛冶職人組合で、古戦場から出た工具を清めていた。組合長トゥーレは、呪いの消えた槌で鉄を一度打ち、響きを確かめる。
「三代続いた事故が、これで止まる。礼金だけでなく、浄化工房の責任者になってほしい」
職人たちは彼女を上座へ座らせず、作業台の隣へ専用の机を置いた。それがイルマリエには何よりうれしかった。
夜半、公爵家から黒紋の写しと帰宅命令が届いた。
イルマリエは家名ではなく、自分の名で返書へ署名した。
「血族守護の契約は、私の名を家系簿から削った日に終了しています」